兵頭昌隆
兵頭 昌隆(ひょうどう まさたか、1852年3月20日(嘉永5年2月30日[1])- 1911年(明治44年)3月13日[1][2][3])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県宇和郡川之石村長。旧姓・竹村、田中。
経歴
[編集]伊予国宇和郡宇和島城下(愛媛県[2]宇和郡宇和島、北宇和郡宇和島町を経て現宇和島市[3])で宇和島藩士・竹村佐平の長男として生れ[1]、宇和郡川之石浦(川之石村、川之石町、保内町を経て現八幡浜市保内町川之石)の郷士・田中孫右衛門の養子となり[1]、その後、資産家・兵頭吉蔵の娘婿となった[1]。
1885年(明治18年)3月、川之石浦戸長となり[1][2][3]、川之石郵便局長も務めた[2][3]。1886年(明治19年)3月、愛媛県会議員に選出され[1]、1890年(明治23年)10月、病のため辞任[1]。同年、川之石村長に就任した[1][2][3]。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(愛媛県第5区、自由党)で当選し[1][4]、1898年(明治31年)3月の第5回総選挙(愛媛県第5区、自由党)では次点で落選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
実業界では、1887年(明治20年)12月、養父吉蔵らと四国初の紡績会社、宇和紡績を設立し[1]、同社長を務めた[2][3]。晩年は東京に移り商業を営んだ[1]。