内藤 信全(ないとう のぶのり、? - 寛文13年6月21日(1673年8月3日))は、陸奥国内藤家棚倉藩の初代藩主・内藤信照の三男。棚倉藩内藤家より分家となった旗本(寄合)家初代。通称は三左衛門。父は内藤信照。養子に信有。
幼名・五郎。明暦3年(1657年)9月3日徳川家綱に披露される。寛文11年(1671年)9月23日、兄・内藤信良から常陸国多賀郡のうち、新田5000石を分与された。
寛文13年6月21日、江戸において死す。法名:清閑。葬地は三田浄閑寺とされている(「寛政譜」)。
- 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 201・204頁