前田晴美 (ミス・ユニバース・ジャパン)
まえだ はるみ 前田 晴美 | |
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生誕 | 1951年3月16日(73歳) 日本 福井県 |
出身校 | 学習院大学 |
職業 | ミスコンテスト代表 スチュワーデス ゴルフ場ビジネス専門家 |
前田 晴美(まえだ はるみ、1951年3月16日 - )は、1972年(昭和47年)の『ミス・ジャパン』であり、同年のミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場してトップ12に入賞した[1]。
人物
[編集]ミス・ユニバース
[編集]大学在学中だった1972年(昭和47年)、プエルト・リコで行われたミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場した。12人のセミファイナリストのひとりとして勝ち残った前田は、コンテストの司会者から法律を学んでいる理由を問われ、「私は法律を勉強しています。私は、良い主婦になりたいのです」と答えて、司会者や聴衆を楽しませたという[2]。選考の結果、前田はトップ5には入らなかった[1]。当時の身長は167センチメートル(cm)、スリーサイズは88-58-89 cm[3]。
航空会社勤務
[編集]大学卒業後は全日空に就職、スチュワーデスとして勤務の後、客室部客室乗務員室インストラクターや教官を歴任した[1][4]。
ゴルフ場経営への関与
[編集]1986年(昭和61年)、当時大手ゴルフ場経営会社だった大洋株式会社[5](東京都港区)に就職[4]、同社が所有していた皐月ゴルフ倶楽部鹿沼コース(栃木県)において、女性としては日本で初めてのゴルフ場支配人となった[1][4]。
1988年(昭和63年)、同じく大手ゴルフ場経営会社だったエスティティ開発株式会社[6](STT開発、東京都港区)に転じ[4]、ゴルフ場9コースの運営統括役員を務めるなどした[1]。
1999年(平成11年)、独立してコールセンターを主体としたアウトソーシング事業を行う企業を千葉県に設立[4][7]、同社の代表取締役社長となった[1]。
2004年(平成16年)、ゴルフ場運営コンサルタント事業及びコールセンターを主体としたアウトソーシング事業などを行う株式会社メリージャンクション(東京都台東区)専務取締役に就任した[4]。ゴルフ場のキャディ教育も行っている前田には、著書『キャディ進化論』(ゴルフダイジェスト社刊)もある。
区議会議員選挙に出馬
[編集]2015年(平成27年)の統一地方選挙で「口廣(くちひろ)晴美」の名前で次世代の党から東京都江東区議会議員に立候補したが、落選した[8]。2016年(平成28年)5月16日現在「くちひろ晴美」公式サイトは閉鎖されているが、ミス・ユニバース当時の秘話を本人が語るサイトは残されている[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 講師プロフィール 前田晴美 Tokyo Speaker's Club (東京ライターズバンク)、平成23年8月31日閲覧
- ^ Aussie weatherbird rises to the occasion Miss Universe 1972, Critical Beauty, 2008、平成23年9月1日閲覧
- ^ 美の代表は清純派『毎日新聞』1972年3月25日22面
- ^ a b c d e f 講師紹介 専務取締役・チーフコンサルタント 前田晴美 株式会社メリージャンクションのウェブサイト、平成23年9月1日閲覧
- ^ 後の大洋緑化株式会社。はじめは平和相互銀行グループのゴルフ場経営会社として設立され、最盛期にはグループで国内14コース、国外4コースのゴルフ場を保有、約35,000名の会員を有していたが、平成16年10月に倒産した
- ^ バブル期には高級ゴルフクラブとして知られ、最盛期には関東地区を中心に11のゴルフ場を経営、また東京・新橋では1000億円規模の不動産投資をするなどしていたが、平成14年10月に倒産した
- ^ パーソルジャパン株式会社
- ^ 江東区 (2017年1月19日). “平成27年4月26日執行 区議会議員選挙”. 2017年3月13日閲覧。
- ^ くちひろ晴美. “私の履歴書 1971年~1972年”. 2016年5月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- 講師紹介: 専務取締役 前田晴美 株式会社メリージャンクション
- ゴルフ場不況で、派遣が急増! 価格競争とサービス向上の間に揺れるキャディの危機 曲沼美恵 ダイヤモンド・オンライン(ダイヤモンド社) 2010年9月30日 - 記事中に前田が登場する