加瀬倭武
加瀬 倭武(かせ まさたけ、1865年9月9日(慶応元年7月20日)[1] - 1936年8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧10期、陸大10期。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]千葉県出身。陸軍士官学校(10期)を卒業。陸軍大学校(10期)を卒業。
- 明治21年(1888年)7月28日 陸軍騎兵少尉
- 明治24年(1891年)11月 陸軍大学校入校
- 明治27年(1894年)7月24日 陸軍大学校中退
- 明治29年(1896年)2月29日 陸軍大学校復校
- 明治35年(1902年)2月8日 騎兵第9聯隊長
- 明治36年(1903年)6月25日 近衛騎兵聯隊長
- 明治38年(1905年)8月29日 陸軍騎兵大佐
- 明治42年(1909年)4月1日 騎兵第25聯隊長
- 大正2年(1913年)1月5日 陸軍少将(騎兵第4旅団長)
- 大正5年(1916年)8月18日 待命
- 大正6年(1917年)1月17日 予備役
栄典
[編集]親族
[編集]- 義父 鼓包武(陸軍少将。兄に佐藤信彦(信彦の子孫に海軍中将 佐藤市郎、首相の岸信介・佐藤栄作・安倍晋三ら))
- 義父 徳久恒範(幕末の佐賀藩士。明治期の官僚・政治家。県知事、貴族院議員。)
- 娘婿 高品彪(陸軍中将)
- 孫 高品武彦(陸軍大尉、陸自陸将・統幕議長)
- 義弟 高品朋(陸軍少将)
- 先妻 ノブ(旧姓 鼓。陸軍少将 鼓包武の長女)
- 後妻 美城子(旧姓 徳久。徳久恒範の長女)