北山村 (岐阜県)
きたやまむら 北山村 | |
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旧北山小学校 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 | 新規合併 北山村、富波村、谷合村、葛原村、北武芸村、西武芸村、武儀郡乾村 → 美山村 |
現在の自治体 | 山県市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 山県郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 59.80 km2. |
総人口 | 2,292人 (1955年) |
北山村役場 | |
所在地 | 岐阜県山県郡北山村神崎114-1 |
座標 | 北緯35度37分51秒 東経136度43分01秒 / 北緯35.63083度 東経136.71708度座標: 北緯35度37分51秒 東経136度43分01秒 / 北緯35.63083度 東経136.71708度 |
ウィキプロジェクト |
北山村(きたやまむら)は、かつて岐阜県山県郡にあった村である。
村名は、初代、北山郵便局長、早矢仕鶴祐が命名。山県郡の最北部に位置していることから。
合併で美山村(1964年に町制施行し美山町)となった後、現在は山県市の北部に該当する。武儀川支流の神崎川、円原川流域の村であった。
周囲が1000m級の山に囲まれた谷あいの地域で、県内でも有数の豪雪地帯である。その影響もあり、集落再編成事業で昭和40年代から集団離村が始まり、万所、三尾、白岩の集落が無くなっている。残った集落も過疎化が進行し、現在は消滅した集落もある。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は美濃国山県郡であり、天領、岩村藩領であった。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 片原村、神崎村、円原村が合併し発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 山県郡富波村、谷合村、葛原村、北武芸村、西武芸村および武儀郡乾村と合併し美山村が発足。同日北山村廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば北山村の篤農家は、「早矢仕杢次郎、早矢仕兵左衛門」などがいた[1]。
教育
[編集]北山村の小中学校は、全て美山町立になった後、廃校となっている。
- 北山村立北山小学校 (1997年廃校)
- 北山村立北山北小学校 (1980年廃校)
- 北山村立北山小学校仲越分校 (1986年廃校)
- 北山小学校伊往戸分校 (1981年廃校)
- 北山村立北山中学校[2]。(1964年美山北中学校へ統合。2003年に美山北中学校と美山南中学校が統合し、現・山県市立美山中学校)
- 北山村立北山中学校仲越分校(1979年廃校)
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』355頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月2日閲覧。
- ^ 北山中学校仲越分校の存続のため、1970年までは休校扱い。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。