北村俊介
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市伏見区 |
生年月日 | 1967年7月6日(57歳) |
身長 体重 | 174 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト外 |
初出場 | 1989年9月10日 |
最終出場 | 1996年3月31日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
北村 俊介(きたむら しゅんすけ、1967年7月6日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
来歴・人物
[編集]京都府の大谷高卒業後は家業を手伝っていたが、1987年秋に6年ぶりに開催された中日ドラゴンズの新人テストに参加し、たった1人の合格者となる[1]。オフにドラフト外で入団[1]。翌年、練習生から支配下選手に昇格[1]。
1996年3月、嶋田章弘との交換で近鉄バファローズへ移籍[1]。1997年限りで現役を引退[1]。その後は佐川急便軟式野球部で選手、監督[1]。
数年前まで、NPO法人日本少年野球指導者協会のKS野球塾塾長として子供たちに野球の指導をしていた。
選手としての特徴
[編集]俊足が武器の左打ちで、打席ではかなりオープンスタンスに構えていた。打撃フォームは、当時読売ジャイアンツに在籍していた岡崎郁によく似ていた。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1989 | 中日 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1994 | 17 | 22 | 18 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | .278 | .409 | .278 | .687 | |
1995 | 30 | 79 | 71 | 10 | 16 | 1 | 0 | 1 | 20 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 2 | 4 | 2 | .225 | .304 | .282 | .585 | |
1996 | 近鉄 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
通算:4年 | 51 | 103 | 91 | 11 | 21 | 1 | 0 | 1 | 25 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 1 | 2 | 6 | 2 | .231 | .320 | .275 | .595 |
記録
[編集]- 初出場:1989年9月10日ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤ球場)、9回裏に大宮龍男の代走
- 初打席:1989年9月13日大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)、鈴木康友に代わり二塁守備に就き、2打数無安打
- 初先発出場:1994年5月19日、ヤクルトスワローズ9回戦(神宮球場)、7番・遊撃手
- 初安打:1994年6月11日読売ジャイアンツ戦(ナゴヤ球場)、斎藤雅樹から単打
- 初本塁打・初打点:1995年8月1日、横浜ベイスターズ戦(ナゴヤ球場)、7回裏に加藤将斗からソロ
背番号
[編集]- 96(1988年 - 1989年)
- 64(1990年 - 1995年)
- 35(1996年 - 1997年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 北村俊介 - NPB.jp 日本野球機構
- KS野球塾 北村塾長の日記