北畠具信
北畠 具信(きたばたけ とものぶ、生年未詳 - 永禄5年(1562年))は、戦国時代の武将。官位は従四位下・左近衛中将。子に顕重。
経歴
[編集]浪岡北畠家の当主・浪岡具永の庶子といわれる。父の命令で、断絶していた分家の河原御所の家柄を継いだ。所領問題で甥の浪岡具運と争い、永禄5年(1562年)に具運を暗殺した(河原御所の乱)。しかし自らも具運の弟の顕範によって殺されてしまった。
この河原御所の乱は、結果的に浪岡北畠氏の衰退を招くことになる。
官歴
[編集]『歴名土代』による。
- 天文年間:従五位下
- 天文17年(1548年) 5月16日:左近衛少将
- 天文23年(1554年) 10月5日:従五位上
- 永禄3年(1560年) 2月14日:正五位下
- 時期不詳:具定から具信に改名
- 永禄9年(1566年) 3月11日:従四位下、左近衛中将
参考文献
[編集]- 湯川敏治編『歴名土代』続群書類従完成会、1996年