千種秀夫
千種 秀夫(ちくさ ひでお、1932年2月21日 - 2022年12月17日)は日本の裁判官。最高裁判所判事。日本法律家協会会長(第7代:2007年-2015年)。弁護士登録をしている。兵庫県出身[1]。
人物
[編集]横浜地裁が振り出しだが、判検交流で11年間は法務省に勤務する[2]。法務省民事局長時代には妻の遺産相続を3分の1から2分の1にする法改正に関与した[2]。裁判と行政の違いについて「裁判は目の前の紛争解決。立法はあらゆることを想定し、広く深く考える。この経験が勉強になった」という[2]。
最高裁事務総長から最高裁判事に任命される[2]。裁判官枠の最高裁裁判官は高裁長官を経て任命されるケースが多く、最高裁事務総長からのストレートの任命は異例である[2]。
経歴
[編集]- 1953年 東京大学法学部卒業
- 1955年 判事補任官
- 1967年 最高裁判所調査官
- 1972年 大阪地方裁判所判事
- 1974年 東京法務局訟務部長
- 1975年 法務省民事局第一課長
- 1977年 法務省大臣官房秘書課長
- 1980年 法務省大臣官房司法法制調査部長
- 1983年 東京地方裁判所判事
- 1986年 法務省民事局長
- 1987年 静岡地方裁判所長
- 1989年 東京高等裁判所判事
- 1992年 最高裁判所事務総長
- 1993年 最高裁判所判事
- 2002年 定年退官
- 2004年 旭日大綬章受章[4]
担当訴訟
[編集]著作
[編集]- 『判例にみる使用者の責任』千種秀夫、高井伸夫 (新日本法規出版)ISBN 978-4788206533
- 『労使の視点で読む 最高裁重要労働判例 』高井伸夫・宮里邦雄・千種秀夫(経営書院出版)
脚注
[編集]- ^ a b c “千種秀夫・元最高裁判事が死去 初めて事務総長から就任、90歳”. 47NEWS. 共同通信. (2023年1月5日). オリジナルの2023年1月5日時点におけるアーカイブ。 2023年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e 野村二郎 2004, p. 104.
- ^ “千種秀夫氏死去(元最高裁判事)”. 時事通信社. 2023年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月5日閲覧。
- ^ “平成16年春の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』自由国民社、2004年。ISBN 9784426221126。