千葉県立大多喜高等学校
千葉県立大多喜高等学校 | |
---|---|
校舎、天主、薬医門、大井戸を望む | |
北緯35度17分7.3秒 東経140度14分27.2秒 / 北緯35.285361度 東経140.240889度座標: 北緯35度17分7.3秒 東経140度14分27.2秒 / 北緯35.285361度 東経140.240889度 | |
過去の名称 | 千葉県大多喜中学校 千葉県立大多喜中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千葉県 |
学区 | 第7学区 |
併合学校 | 千葉県立大多喜女子高等学校 |
校訓 | 大中至正 |
設立年月日 | 1900年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D112210001154 |
高校コード | 12166F |
所在地 | 〒298-0216 |
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千葉県立大多喜高等学校(ちばけんりつおおたきこうとうがっこう)は、千葉県夷隅郡大多喜町にある公立高等学校。
概要
[編集]1900年に千葉県大多喜中学校(愛称は「だいちゅう」)として、千葉県内の県立の旧制中学校では3番目に開校した。2004年には千葉県立大多喜女子高等学校と統合した。普通科設置。愛称は「だいこう」。
校地は大多喜城天主を仰ぐ二の丸に立地し、前身の藩校明善堂は三の丸の地にあった[1]。
沿革
[編集]- 1900年(明治33年) - 千葉県大多喜中学校として創立[2]
- 1926年(大正15年) - 卒業生から大多喜城薬医門が寄贈される
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により千葉県立大多喜高等学校となる(普通科)
- 1950年(昭和25年) - 大多喜女子高等学校と統合(森宮校舎 [家庭科] 開設)
- 1963年(昭和38年) - 森宮校舎が大多喜女子高等学校として独立
- 1997年(平成9年) - 英語科を開設
- 2002年(平成14年) - 2学期制を施行
- 2004年(平成16年) - 大多喜女子高等学校と再び統合
- 2010年(平成22年) - 英語科募集停止
アクセス
[編集]学校行事
[編集]- 4月 - 離任式、 入学式
- 5月 - 5月考査、生徒総会、スポーツ大会(各クラス対抗で各種球技で競う)
- 6月 - 明善祭(文化祭)、中学生体験入学
- 7月 - 7月考査、夏休み
- 8月 - 課題テスト、 勉強合宿
- 9月 - 体育大会、終業式
- 10月 - 秋休み、始業式、10月考査、2年生修学旅行(広島、京都周辺3泊4日)、生徒会選挙
- 11月 - 課題テスト、授業公開
- 12月 - 12月考査、冬休み
- 1月 - 課題テスト、特色ある入学者選抜出願
- 2月 - マラソン大会、特色ある入学者選抜、学力検査による入学者選抜出願と試験
- 3月 - 入学許可候補者発表、卒業式
部活動
[編集]著名な出身者
[編集]- 吉岡甲子郎 -東京大学名誉教授
- 稲葉襄 - 神戸大学名誉教授
- 芳野英昌 -千葉大名誉教授
- 尾本信平 - 三井金属鉱業代表取締役会長
- 安西浩 - 東京ガス会長
- 塩田武雄 - 造園家
- 岩瀬亮 - 衆議院議員
- 田中豊 - 実業家、衆議院議員
- 久松定弘 - 貴族院議員
- 東山収一郎 - 第17代海上幕僚長
- 河野密 - 衆議院議員[要出典]
- 小高丑松 -千葉県弁護士会長
- 山口吉暉 - 勝浦市長
- 山口和彦 - 勝浦市長
- 猿田寿男 - 勝浦市長
- 太田洋 - いすみ市長
- 井上宗雄 - 立教大名誉教授
- 中村幸弘 - 國學院大學名誉教授
- 佐川和茂 - 青山学院名誉教授
- 磯野史郎 -千葉大医学部教授
- 米本年邦 -東北大学教授
- 佐瀬寿一 - 音楽家
- 宇野輝雄 - 翻訳家[要出典]
- 渡辺正行 - タレント
- 石野真美 - 陸上競技選手、日本代表
- 櫻井健一 - 陸上競技選手、日本代表
- 石井久吾 - 鑑定士
- 柴崎春通 - 水彩画家、YouTuber
教職員
[編集]文化財
[編集]校内に保存されている文化財
- 大井戸(千葉県指定文化財)
- 薬医門(千葉県指定文化財)