原正鼎

原 正鼎(はら せいてい[1]1881年明治14年)8月 - 没年不詳)は、日本裁判官

経歴

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山形県米沢市出身。1906年(明治39年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業して、司法官試補となった[1]京都地方裁判所判事大阪地方裁判所判事を経て、1909年(明治42年)に朝鮮に渡り、京城区裁判所判事、京城地方裁判所判事、京城覆審法院判事、高等法院判事を歴任[1]1920年大正9年)、朝鮮総督府法務局民事課長に転じ、1923年(大正12年)に欧米に出張した[1]。帰国後、高等法院判事、京城地方法院長、高等法院部長を経て、1932年(昭和7年)に大邱覆審法院長となり、1939年(昭和14年)に高等法院長に就任した[1]

1943年昭和18年)、退官[2]

脚注

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参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。