古岡秀人
ふるおか ひでと 古岡 秀人 | |
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『現代人物史』(1966年)掲載肖像 | |
生誕 | 1908年12月15日 日本 福岡県 |
死没 | 1994年5月17日(85歳没) |
出身校 | 小倉師範学校 |
職業 | |
肩書き |
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配偶者 | 古岡 貞 |
古岡 秀人(ふるおか ひでと、1908年12月15日 - 1994年5月17日)は、福岡県出身の編集者、出版事業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)創業者、同代表取締役社長。
来歴
[編集]筑豊炭田の監督の息子として生まれ、5歳の時に坑内事故で父を失う。父は五木寛之の父と友人同士で、その関係から五木は古岡を「おやじさん」と呼び習わしていた。
母子家庭で苦労して育ち、1928年、小倉師範学校(現福岡教育大学)を卒業。小学校で教師を務める傍ら、旧制高等学校国漢科教授登用試験を受けるも不合格となったため、1935年に小学館へ入社し、相賀武夫のもとで働く。宣伝・営業部門を担当した後『小学三年生』編集部に入り、頭角をあらわす。
やがて婦人雑誌編集に興味を持つに至り、1938年に主婦の友社へ移ったが1ヶ月で退社。1946年1月1日、東京都大田区南千束で学習研究社を創業。当時の社員は男性5名、女性2名。創業資金は貞夫人(1979年1月逝去)が米の買占めによる利益で賄った。1947年、株式会社に改組。小学館の学習雑誌の成功を見習って「五年・六年の学習」を創刊し、成功を収める。
1980年6月、父を亡くした子供のための財団法人古岡奨学会を、私財10億円に基づいて設立。
1982年、学習研究社を二部上場させるが、実績を高く評価され、1984年、一部に指定変更となる。
社員数が2000名を突破してからも、合計80誌に及ぶ雑誌やあらゆる単行本の企画に関わりつづけ、大プロデューサーと呼ばれた。
プライベート
[編集]日本中央競馬会(JRA)の馬主としても知られており、海外でも競走馬を所有していた。勝負服の登録服色は「黄、赤襷、黒袖赤縦縞」。
主な所有馬
[編集]- ステージチャンプ(現役中に古岡が死去したため、後に吉田和子(吉田善哉の妻)所有となった)
- シェイディハイツ/Shady Heights (本邦輸入種牡馬)
- テイオージャ(東京障害特別・秋、東京優駿3着)
関連項目
[編集]- 学習研究社
- 赤尾好夫 - 旺文社の創業者であり同時代のライバル
- 古岡秀士 - 孫で株式会社ユナイトプロジェクト創業者
- 古岡勝 - 甥で学習研究社副社長(後に最高顧問)
- 高松邦男 - 日本中央競馬会調教師。古岡の持ち馬を管理していた。
- 佐木隆三ー古岡が学研の嘱託に採用し、自由に小説を書かせた。
伝記
[編集]- 岡本文良『望洋 古岡秀人伝』古岡秀人伝編集委員会 編. 学習研究社, 1994.4