司馬順

司馬 順(しば じゅん、3世紀後半ごろ)は、三国時代から西晋にかけての武将政治家子思

略歴

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司馬懿の弟である司馬通の次男。魏では習陽亭侯に封じられた。

泰始元年(265年)、司馬炎(武帝)が禅譲を受け晋王朝を開くと、「事情は(堯舜)の時とかけ離れているのに、偽の禅譲を騙るとは!」と批判し、悲しんで泣いた。

この発言が問題とされ、涼州武威郡姑臧県流罪となった。しかし、発言を撤回することなく、流された先で死去した。

参考文献

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  • 晋書』司馬順伝
  • 三国志杜恕伝注『晋書』(王隠) - 王隠の『晋書』は東晋の時代の編纂であるため、晋の正当性を否定している司馬順の発言内容を明記せず、「(司馬順は)天命を悟らず、節義を守って心変わりしなかった」と遠回しに記述している。

関連項目

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