含粋亭芳豊
含粋亭 芳豊(がんすいてい よしとよ、生年不明 - 慶応2年〈1866年〉)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
来歴
[編集]歌川国芳の門人。姓は上原、俗称兵三(または兵蔵)。歌川の画姓を称し含粋亭、含粋、含粋舎、北砕舎、北酔、北粋、北翠、北水と号す。作画期は安政元年(1854年)から安政5年(1858年)の間に限られており、主に中判の役者絵や芝居看板絵を描いたが、風俗画、風景画の作も残す。また和歌も能くし、茶番狂言に巧みであったという。
作品
[編集]- 「安藤幾八郎・嵐瑠珏」 中判錦絵 ※安政4年9月、大坂中の芝居『敵討崇禅寺馬場』より
- 「乍憚口上 江戸登り 五代目坂東彦三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※安政5年正月
- 「北新地盆おどり 小松屋・かる 高亀・柳」 中判錦絵2枚続
- 「滑稽浪華五拾景」 中判錦絵 ※安政元年頃、歌川芳梅との合作
- 「菱垣新綿番船川口出帆之図」 大判錦絵3枚続
- 「花暦浪花自慢」 中判揃物
参考文献
[編集]- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※103頁