呂号第四十六潜水艦
艦歴 | |
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計画 | 昭和17年度計画(マル急計画)[1] |
起工 | 1942年6月13日[1] |
進水 | 1943年4月23日[1] |
就役 | 1944年2月19日[1] |
その後 | 1945年4月29日空爆により沈没[1] |
亡失認定 | 1945年5月2日[1] |
除籍 | 1945年6月10日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:960トン 常備:1,109トン 水中:1,447トン |
全長 | 80.50m |
全幅 | 7.05m |
吃水 | 4.07m |
機関 | 艦本式22号10型ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:4,200馬力 水中:1,200馬力 |
電池 | 1号15型240コ[2] |
速力 | 水上:19.8kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:16ktで5,000海里 水中:5ktで45海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 61名 |
兵装 | 40口径8cm高角砲1門 25mm機銃連装1基2挺 53cm魚雷発射管 艦首4門 魚雷10本 |
備考 | 安全潜航深度:80m |
呂号第四十六潜水艦(ろごうだいよんじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の12番艦。
艦歴
[編集]1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル急計画)[1]により、1942年6月13日、三井玉野造船所で起工。1943年(昭和18年)4月23日進水。1944年(昭和19年)2月19日に竣工し、二等潜水艦に類別[1]。同日、舞鶴鎮守府籍となり[3]、訓練部隊である第六艦隊第11潜水戦隊に編入された。
4月2日2145、愛媛県水無瀬南西沖で訓練のため潜航中、同じく潜航していた伊46と衝突し、喫水線下に損傷を受けた。その後、修理を受ける。6月23日、第34潜水隊に編入[3][4]。
同日、呂46は呉を出港し、サイパン周辺海域に進出[3][4]。7月3日、故障のため呉に到着し修理を受ける。
9月19日、呉を出港しパラオ南西沖に進出[4]。28日、パラオ南西沖で米空母1隻を発見するも、距離が遠かったため攻撃できなかった。10月1日、別の米空母1隻を発見するも、攻撃に失敗。7日、回天攻撃の事前偵察のためウルシー西方沖に到着。ウルシーを潜望鏡で偵察した結果、ウルシーには米空母バンカー・ヒル(USS Bunker Hill, CV-17)、重巡2他の機動部隊が停泊中であることを報告した。14日、呉に到着[4]。
20日、呂46は乙潜水部隊に編入されて呉を出港し、レイテ沖海戦に参加するべくフィリピン東方沖に進出。11月13日、撃墜された一式戦闘機の搭乗員1名を救助。19日、舞鶴に到着[4]。その後呉に移動した。
1945年(昭和20年)1月8日、呂46は呉を出港し、ルソン島西方沖に進出。29日、北緯14度48分 東経119度18分 / 北緯14.800度 東経119.300度のイバ西方沖で米攻撃輸送艦「キャヴァリア(USS Cavalier, APA-37)を発見。翌30日0133、雷撃を行い同艦を撃破した[4]。損傷したキャヴァリアはその後レイテ島に曳航されていった。2月4日、高雄に到着。
7日、呂46は高雄を出港し、ルソン島バトリナオの残留搭乗員の救出に向かった。10日に日付が変わった直後、バトリナオ沖で大発と会合し、大発に乗っていた搭乗員46名を収容した後[4]、出港。12日に高雄に到着した。
13日、呂46は高雄を出港し、南西諸島周辺海域を哨戒。19日、呉に到着[4]。
4月6日、呂46は呉を出港し、北大東島へ向かう[4]。17日、北大東島北東60浬地点で定時連絡と位置の報告を最後に消息不明[1]。
アメリカ側記録によると、29日、沖縄へ向かう海上輸送路を対潜哨戒中の米護衛空母ツラギ( USS Tulagi, CVE-72) の艦載機が潜水艦を発見。攻撃により潜水艦を撃沈した[1][4]。これが呂46の最期の瞬間であり、艦長の木村正男少佐以下乗員86名全員戦死[5]。沈没地点は沖大東島沖、北緯24度15分 東経131度16分 / 北緯24.250度 東経131.267度。
5月2日、沖縄方面で亡失と認定され、6月10日に除籍された。
撃破総数は1隻で、撃破トン数は8,100トンである。
歴代艦長
[編集]艤装員長
[編集]- 不詳
艦長
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9