四辻公遠
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文9年(1540年) |
死没 | 文禄4年8月13日(1595年9月16日) |
官位 | 正二位・権大納言 |
主君 | 正親町天皇 |
氏族 | 四辻家 |
父母 | 父:四辻季遠、母:女官(得選) |
妻 | 杉原氏の娘 |
子 | 桂岩院、鷲尾隆尚、小倉季藤、季継、猪熊教利、藪嗣良、猪熊季光、与津子 |
四辻 公遠(よつつじ きんとお[1]/きみとお[2])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・書家。
経歴
[編集]永禄6年(1563年)参議、元亀元年(1570年)権中納言、天正7年(1579年)権大納言を歴任し、天正8年(1580年)正二位に至る。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ “四辻季継筆書状”. 慶應義塾ミュージアム・コモンズ. 2024年5月12日閲覧。
- ^ 「御与津御寮人」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2024年5月12日閲覧。
- ^ 『真敬法親王日記』(陽明文庫)貞享3年8月5日条記載の享年からの逆算
出典
[編集]- 『系図纂要 第5冊下 藤原氏(8)』名著出版、1992年