国泰寺町 (広島市)

日本 > 中国地方 > 広島県 > 広島市 > 中区 (広島市) > 国泰寺町 (広島市)
広島市役所(国泰寺町一丁目)
寛永年間の広島の絵図(『概観広島市史』より)。国泰寺新開、つまり河口付近だった事がわかる。
寛永年間の広島の絵図(『概観広島市史』より)。国泰寺新開、つまり河口付近だった事がわかる。
広島の新開地発展図(『概観広島市史』より)。国泰寺村表記されている。
広島の新開地発展図(『概観広島市史』より)。国泰寺村表記されている。
1930年頃(昭和5年頃)の廣島市地図。公會堂、第1中学校(現国泰寺高)が見える。市役所はこの時点では移転していない。
1930年頃(昭和5年頃)の廣島市地図。公會堂、第1中学校(現国泰寺高)が見える。市役所はこの時点では移転していない。
1945年アメリカ軍作成の広島市地図。鯉城通りに沿って"KOKUTAIJIMACHI"と表記されている。
1945年アメリカ軍作成の広島市地図。鯉城通りに沿って"KOKUTAIJIMACHI"と表記されている。
画像外部リンク
広島県立文書館所有の戦前の絵葉書。
[絵葉書](広島国泰寺) 戦前期、国泰寺町に立地していた当時の国泰寺。町名の由来となった。
画像外部リンク
アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。
Hiroshima aerial A3369鯉城通り上空を北に向かって撮影。手前に見切れているのが市役所、上端にある小さな建物が浅野図書館(現広島市立中央図書館)、その更に上に見切れているのが中国配電(現中国電力)本社。
Hiroshima aerial A3374千田町から北西方向を撮影。右上に鯉城通りと市役所が見える。
Hiroshima aerial 3 Aug 46 A3466千田町から北方向を撮影。第1中学校も見える。

国泰寺町(こくたいじまち)は、広島県広島市中区の地名である。この項目では、現在の国泰寺町およびかつての国泰寺村について記述する。

地理

[編集]

広島市中心部、北に平和大通り、その北に広島本通商店街、その北には相生通り紙屋町交差点。1丁目の南に国道2号線、2丁目は国道2号線の南にある。西に国道54号線(鯉城通り)を挟んで大手町広島市役所広島中央郵便局広島国泰寺高等学校が所在し、オフィス街として企業のビルも多くある。大手町5丁目の鷹野橋商店街も近い。

隣接している地区

[編集]

歴史

[編集]

国泰寺という地名は、現在のANAクラウンプラザホテル広島付近にかつて所在していた国泰寺(現在は西区己斐上に移転)に由来する。広島築城時から藩政時代初期にかけては、この国泰寺および隣接する白神社の南端の岩礁(現在も同社境内に保存されている)まで広島湾が迫っていたが、藩政期を通じて遠浅の海が埋め立てられ、国泰寺・白神社より南に造成された新開地は「国泰寺村」と命名された。

近代以降の町名変更によって国泰寺村は北部の国泰寺町、南部の千田町などに分割され、国泰寺・白神社近辺の住所表示も小町(現在は中町に変更)となった。1928年昭和3年)、それまで中島新町(現在の中島町)に所在していた広島市役所が国泰寺町に移転し、国泰寺町は市政の中枢としての地位を占めるに至った。

住居表示

[編集]
  • 国泰寺町(こくたいじまち) 1丁目・2丁目
  • 小町(こまち)

主な施設

[編集]

学校

[編集]

行政

[編集]

公園

[編集]
  • 国泰寺公園(国泰寺町)

道路

[編集]

交通

[編集]

関連項目

[編集]