園基福
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 1622年3月27日(元和8年2月16日) |
死没 | 1699年12月30日(元禄12年11月10日) |
官位 | 従一位、准大臣 |
主君 | 明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇→東山天皇 |
氏族 | 園家 |
父母 | 父親:園基音 母親:谷衛友の娘 |
兄弟 | 基福、東園基賢、葉川基起、国子、京極方、柳原資行室 |
妻 | 正室:中御門尚良の娘 継室:水野勝俊の娘 |
子 | 基勝、波多基維 |
園 基福(その もとよし、1622年3月27日(元和8年2月16日) - 1699年12月30日(元禄12年11月10日))は、江戸時代前期の公家。
権大納言・園基音の子。官位は従一位・准大臣。園家14代当主。青山流第14代家元。霊元天皇の外伯父。主に明正天皇(109代)から東山天皇(113代)までの五帝に亘り仕えた。
生涯
[編集]1626年(寛永3年)叙任。以降累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将・蔵人頭を経て、1649年(慶安2年)に参議となり公卿に列する[1]。
その後踏歌節会外弁・権中納言を経て、1660年(万治3年)に権大納言となる[1]。1669年(寛文9年)に権大納言を辞すと、1686年(貞享3年)には従一位に昇叙。霊元天皇の外伯父にあたる事から、権中納言を極官とする園家としては異例の准大臣宣下を蒙った[1]。
1699年12月30日(元禄12年11月10日)、死去[1][2]。