坂部大作
坂(阪)部 大作(さかべ だいさく、1836年(天保7年10月[1])- 1908年(明治41年)9月[1])は、日本の武士(三河吉田藩藩士)、剣術家。流派は鏡新明智流。称号は大日本武徳会剣道範士。
経歴
[編集]三河国吉田(現愛知県豊橋市)に生まれる。13歳から21歳まで、同藩で剣術を修行する。
1856年(安政3年)、21歳で江戸へ出て、鏡新明智流桃井春蔵の道場士学館に入門。頭角を現し、上田馬之助、久保田晋蔵、兼松直廉とともに「桃井の四天王」と謳われる。
1859年(安政6年)、24歳で鏡新明智流免許を得て帰藩する。
1862年(文久2年)、藩主松平信古が大坂城代を拝命したので坂部も随行し、1865年(慶応2年)まで大坂表講武所で剣術を指南する。
廃藩置県後、剣術は不要とされ職を失い、日雇いの沖仲仕をして食いつないだ。沖仲仕の頭に罵られることがあったが、堪えたという。
1903年(明治36年)、大日本武徳会から第1回の範士号を授与される。
1906年(明治39年)、大日本武徳会剣術形制定の委員を務める。
1908年(明治41年)、豊橋で死去。享年77。