大岡忠世

 
大岡忠世
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正4年(1576年
死没 寛永17年12月28日1641年2月8日
別名 忠右衛門(通称
戒名 源忠院徳誉法雲
墓所 神奈川県茅ヶ崎市堤の浄見寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠家光
氏族 藤原姓大岡氏
父母 父:大岡忠政
母:松平康親の養女(石川康正の娘)
兄弟 忠俊忠行忠世忠吉水上正光室、
中根正次室、都筑正次
忠種忠真
娘(筒井吉量室)、娘(上田元勝室)
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大岡 忠世(おおおか ただよ)は、江戸時代初期の旗本大岡忠政の三男。相模国高座郡下大曲村の領主。

父忠政とともに徳川家康に仕え、1597年慶長2年)、父より相模国高座郡下大曲村に220石を分け与えられる。慶長5年(1600年)、長兄の忠俊が伏見城の戦いで討ち死にしたため、家督を継ぎ、父の遺領は次兄の忠行が継いだ。

長男の忠種を本家の次兄・忠行の養子としたため、次男の忠真に家督を継がせた。寛永17年(1641年)12月28日に死去。享年65。

先代
大岡忠政
大岡宗家第3代当主
1576年 - 1641年
次代
大岡忠真