大洗マリンタワー
茨城県大洗マリンタワー Oarai Marine Tower | |
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情報 | |
用途 | 展望台施設 |
設計者 | 桂設計 |
施工 | 岡部工務店 |
事業主体 | 茨城県 |
管理運営 | 茨城県大洗町 |
構造形式 | 鉄骨造 |
建築面積 | 782.4 m² |
延床面積 | 1,121.20 m² |
階数 | 地上3階[注釈 1] |
高さ | 60m[1] |
着工 | 1987年(昭和62年)11月 |
竣工 | 1988年(昭和63年)10月 |
開館開所 | 1988年(昭和63年)10月18日[1] |
所在地 | 〒311-1305 茨城県東茨城郡大洗町港中央10番地 |
座標 | 北緯36度18分37.7秒 東経140度34分14.3秒 / 北緯36.310472度 東経140.570639度座標: 北緯36度18分37.7秒 東経140度34分14.3秒 / 北緯36.310472度 東経140.570639度 |
大洗マリンタワー(おおあらいマリンタワー)は、茨城県東茨城郡大洗町にある高さ60mの展望台。
概要
[編集]設置者は茨城県[2]。指定管理者制度により、大洗町が管理・運営を行っている[3]。2019年(平成31年)3月よりみなとオアシス大洗認定施設である。
大洗港内の港中央公園に立地しているため、高さ55mの展望台から眼下に大洗港や大洗の街並みの様子や太平洋を眺めることができる。さらに天気が良ければ富士山や日光、那須方面まで見渡すことが出来る[1]。
茨城県は2021年12月から新たに施設命名権の募集を行う施設を発表し、大洗マリンタワーも施設命名権の募集の対象となった[4]。公募の結果、ひたちなかエネルギーロジテックが命名権を取得し、ひたちなかエネルギーロジテック大洗マリンタワーとなった。
歴史
[編集]- 1988年(昭和63年)10月18日 - 開業[1]。
- 2011年(平成23年)
- 2014年(平成26年)8月29日 - いばらきビルフィッシュトーナメントネットワークがタワー前広場に高さ7mのカジキ像を設置[6]。
- 2015年(平成27年)3月21日 - 東日本大震災後休業していた2階喫茶「シーガル」跡に「ガルパン喫茶 Panzer Vor」が開業[7][8][9]。
- 2019年(平成31年)3月12日 - 大洗港一帯がみなとオアシスに認定され、その認定施設となる。
館内施設
[編集]- 3階(第15層):展望室(55m)、ルミライトアート壁画「ドルフィンファンタジー」(入館料340円。なお、入館チケットは1階入口の券売機で購入)
- 2階(第14層):喫茶「ガルパン喫茶 Panzer Vor」(50m、喫茶利用者は2階まで無料)[1]
- 1階:エントランスホール(マリンシアター、売店、観光情報コーナー、事務所)
アクセス
[編集]車利用
[編集]北関東自動車道(東水戸道路)水戸大洗インターチェンジで降り、国道51号、県道2号を利用。
電車・バス利用
[編集]水戸から
[編集]那珂湊から
[編集]- ひたちなか海浜鉄道湊線那珂湊駅から茨城交通バス[50]系統アクアワールド・大洗経由水戸駅・茨大行きに乗車し「磯浜新道」下車。徒歩5分
石岡・鉾田から
[編集]鹿嶋から
[編集]東京から
[編集]- 東京駅八重洲南口4番乗り場から高速バス『みと号』(茨城交通・関東鉄道・JRバス関東)で、「大洗フェリーターミナル」下車。徒歩5分[注釈 2]。ただし、「フェリーターミナル」行きは1日1本のみ※運休中。それ以外の便は終点の「水戸駅北口(または南口)」下車で前述の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線へ乗り換えとなる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『日本展望タワー大全』(2020年9月10日、かねだひろ著、辰巳出版発行)60頁。
- ^ 茨城県大洗マリンタワーの設置及び管理に関する条例
- ^ 指定管理者候補者の選定結果
- ^ “競輪場、鵜の岬に命名権 茨城県有43施設、対象拡大”. 茨城新聞 (2021年12月3日). 2021年12月5日閲覧。
- ^ 復興チャリティ「青空市」 - 大洗観光協会オフィシャルBlog 大洗町宿泊施設青年会活動記 2011年4月17日
- ^ 全長7メートル「カジキ像」 - 茨城新聞クロスアイ 2014年8月30日
- ^ 『"ガルパン定食"再現 大洗マリンタワー 公式カフェきょう開店』茨城新聞2015年3月21日
- ^ 小野寺晋平「茨城県大洗町/"ガルパン定食"再現 公式カフェ、21日開店 大洗マリンタワー」『茨城新聞』茨城新聞社(共同通信社)、2015年3月21日。2020年11月9日閲覧。
- ^ 小野寺晋平「茨城県大洗町/"ガルパン定食"再現 公式カフェ」『茨城新聞』茨城新聞社、2015年3月21日。2020年11月9日閲覧。