大浦 教之助(おおうら のりのすけ、1793年(寛政5年) - 1864年11月24日(元治元年10月25日))は、江戸時代後期の武士で、対馬府中藩士。名は和礼。通称は別に喜左衛門[1]。
勘定奉行や、大目付などをへて加判列(家老)となる。元治元年(1864年)藩校日新館の創設を主宰。
禁門の変によって、尊攘派の勢力が衰退すると、佐幕派の勝井五八郎により尊攘派の首謀者として投獄され、同年10月25日に獄死した。
- ^ 日本人名大辞典+Plus,朝日日本歴史人物事典, デジタル版. “大浦教之助とは”. コトバンク. 2021年1月27日閲覧。