天城山猪太夫

天城山 猪太夫(あまぎやま いだゆう、1906年8月17日 - 1997年9月23日[1])は、静岡県田方郡伊東町(現在の伊東市)出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は石川 徳郎(いしかわ とくろう)。身長185cm、体重98kg。得意手は左四つ、吊り。最高位は東前頭17枚目。

来歴

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1925年(大正14年)1月場所に本名で初土俵。1927年(昭和2年)1月場所から10月場所まで兵役のために番付から消え、1928年(昭和3年)1月場所に三段目格で復帰する。1932年(昭和7年)2月場所、春秋園事件による繰上げ番付で新十両1936年(昭和11年)5月場所に新入幕を果たすが3勝8敗に終わり、幕内在位はこの場所1場所限りであった。身長を活かした吊り上げる相撲を得意としたが、とりわけ目立った特長もなく成績もいたって平凡なものであり、1938年(昭和13年)1月場所限りで引退し、年寄東関を襲名した。

引退後は立浪部屋の部屋付き親方となり、温厚な人柄と明晰な頭脳を買われて、勝負検査役をはじめ1960年(昭和35年)から1968年(昭和43年)まで4期8年にわたって理事を務め、この間大阪場所担当として手腕をふるった。現役時代よりも年寄時代に真価を発揮し、1971年(昭和46年)8月に日本相撲協会を停年退職した。

1997年9月23日に91歳の高齢で死去。1961年1月1日に年寄65歳停年制が施行されて以降に停年を迎えた年寄の中で唯一90歳を越えた人物であり、当然停年退職した親方の中では最長寿であった。

主な成績

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  • 幕内成績:3勝8敗 勝率.273
  • 幕内在位:1場所

改名歴

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  • 天木山 徳郎(あまぎやま とくろう)1925年1月場所-1931年10月場所
  • 初嶋 徳郎(はつしま -)1932年2月場所-1933年5月場所
  • 天城山 猪太夫(あまぎやま いだゆう)1934年1月場所-1938年1月場所(引退)

年寄変遷

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  • 東関 猪太夫(あずまぜき いだゆう)1938年1月-1971年8月16日

脚注

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 88頁

関連項目

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