天華園

天華園
廃墟となった園内(2009年11月)
廃墟となった園内(2009年11月)
施設情報
管理運営 新登別プラザ
開園 1992年4月
閉園 1999年10月31日
所在地 075-0036
北海道登別市上登別町
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天華園(てんかえん)は、かつて北海道登別市に存在した中国風のテーマパークである。

概要

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1985年に設立された「新登別プラザ」が上登別町地区にてレストラン・立体迷路・サーキット・オートキャンプ場・テニスコートを擁する屋外スポーツレクリエーション施設の開発を検討し1986年から造成工事に一部着手するも施設内容の再検討を理由に1987年に凍結、その後登別市からの工事再開の要望を受け1990年に中国庭園を軸とした開発計画を決定[1]、1992年4月に開業。のぼりべつクマ牧場が昔からあった他に、1990年には登別マリンパークニクスが開業し、さらに1992年に開業した登別伊達時代村と本園を加えて、登別市は4箇所のテーマパークを擁することとなった。

しかしシンボルの五重塔や茶室が未完成の状態で開業し完工が7月にずれ込んだことや冬季営業の不振により年間入場者目標50万人に対し初年度の時点で目標を大きく下回る27万人の入場者数にとどまり[2]、他の3施設は登別3大テーマパークと呼ばれるまでに育っていったのに対して[3]、天華園はアトラクションやイベントに欠けたことから、リピーターが育たなかった。結果、天華園はオープンした翌年の1993年度以降の来場者数は減少傾向が続き、1996年時点では年間5万人程度に留まった[4]

1997年5月には親会社となる新潟県の谷村建設からの資金援助が途絶えたことにより新登別プラザが撤退[4]、市が施設を無償で借り受け新会社に運営を委託する形とし[5]、1998年度からは週1回の定休日と冬期休園期間を設けるも経営状態は改善せず、オープンから7年後の1999年10月31日を以って閉鎖された。

閉鎖後長年にわたり放置されていたが、2017年1月頃から解体が開始され[5]、2019年11月から太陽光発電所「北海道登別市北登別MS発電所」として運用を開始した[6]

施設

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園内は本物志向の中国庭園で中国の歴史や文化に触れるコンセプトで設計され[7]、設計から施工まで北京市園林局の全面協力を得て中国本土から資材を輸入し技術者を招いて施工し[8]、総工費約60億円をかけ[5]、約4.2ヘクタールの敷地に清朝の宮廷庭園を再現[7]。高さ約40メートルの五重の塔、自然の起伏を生かした散策路、巨岩を活かした築山、中国直輸入の文房四宝などの伝統工芸品を販売する専門店街[8]承徳避暑山荘を再現した広東料理を提供するレストラン[7][8]、瑠璃瓦葺きの多目的ホール「会堂」などを設けた[7]

脚注

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  1. ^ 登別中国庭園 文化交流の拠点に今年9月オープン予定 - 広報のぼりべつ1991年2月1日号(登別市役所)
  2. ^ 列島プロジェクト点検 ポストバブルのテーマパーク - 日経地域情報171号(日経産業消費研究所 1993年)
  3. ^ 冬季限定!登別テーマパークチケットが登場! - のぼりべつクマ牧場
  4. ^ a b 横路道政のつけテーマパークの惨状 - 財界さっぽろ1997年9月号(財界さっぽろ)176-179頁
  5. ^ a b c “廃虚マニアが惜しむ登別の「中華テーマパーク廃虚」の解体開始”. 東スポWeb. (2017年2月14日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/189255 
  6. ^ “登別市のテーマパーク跡地に建設した特高メガソーラー”. 日経BP. (2021年1月25日). https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00024/00012/ 
  7. ^ a b c d 最前線レポート テーマパーク期待と不安22 登別伊達時代村、中華庭園・天華園(北海道登別市) - 日経地域情報 143号(日経産業消費研究所)
  8. ^ a b c 上野晃「わが市の自慢 登別市 国際観光レクリエーション都市を目指して」 - 市政1993年2月号(全国市長会)

関連項目

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