奥村則英
奥村 則英(おくむら のりひで、1865年3月12日(慶応元年2月15日[1]) - 1930年(昭和5年)7月15日[1]) は、元加賀八家奥村分家第16代当主。男爵。
父は加賀藩士奥村英章。養父は奥村則友。先妻は奥村則友の娘峯。後妻は不破為則の娘鈴。子は奥村内膳。初名乙菊。家紋は「丸ノ内九枚笹」。
生涯
[編集]慶応元年(1865年)、加賀藩士奥村英章の四男として生まれる。明治23年(1890年)、先代奥村則友の娘峯の婿となって家督を相続する。養家は加賀藩家老奥村易英に始まり、代々知行1万2000石を領し、加賀藩人持組頭、年寄を務める家であった。明治33年(1900年)、則友の明治維新への功績により、男爵に叙され華族となる。石川県学術講習評議委員、大澤野開墾配水会社取締役を務めた。
昭和5年(1930年)死去。65歳没。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 『人事興信録』
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 | 男爵 奥村分家初代 1900年 - 1930年 | 次代 奥村内膳 |