奥田務

奥田 務(おくだ つとむ、1939年10月14日 - )は、日本実業家J.フロント リテイリング特別顧問、前会長CEO三菱UFJフィナンシャル・グループ社外取締役慶應義塾大学法学部卒業。ニューヨーク州立ファッション工科大学卒業。

トヨタ自動車社長会長日本経団連会長を歴任した奥田碩は7歳違いの兄。

来歴・人物

[編集]

三重県津市で7人兄弟の5人目として生まれる。奥田家は祖父奥田喜一郎が明治末期に奥田証券を津市に創業。大正時代には、大阪に拠点を構えるなど三重県では最大の証券会社だった。特に、祖父は気性が荒く、芦屋市に別邸を構えた相場師だった。

1960年慶應義塾大学法学部に入学し国際公法を学ぶ。大学卒業後、大丸入社。入社後は、5ヶ月間の研修を経て、大丸京都店の旅行用品売り場を担当した。しかし、希望した東京店への配属ではなかったうえ、雑用の仕事が多く、会社をやめることも考えた。1966年に外商部門に異動。30代前半でニューヨーク州立ファッション工科大学留学と米大手百貨店ブルーミングデールズへの研修チャンスを得て渡米。帰国後新店舗開設の責任者に選ばれ、大丸梅田店の開業で成功を収める。奥田流の百貨店運営術は「梅田学派」と呼ばれた。大丸社長に就任してからは国内不採算店閉鎖、海外の事業撤退、人員削減などを行い、「負の遺産の整理」と「業務オペレーションの改革」などの守りと攻めの改革による経営で大丸は百貨店業界トップクラスの営業利益額と率を達成した。同業松坂屋との経営統合にあたっても主導的な役割を担った[1]

1970年代、日本人で初めてNYブルーミングデールズのバイヤーライントレーニーとして採用される[2]

1997年に大丸社長に抜擢された。リストラ策とともに、札幌店・心斎橋店南館開設、梅田店増床で大丸百貨店を奇跡的に復活させ百貨店業界トップクラスの営業利益額と率を達成している。

2007年、松坂屋と大丸の経営統合に成功。

その他関西経済同友会代表幹事、21世紀臨調顧問会議代表、関西経済連合会副会長、MBSメディアホールディングス監査役、りそなホールディングス取締役などをそれぞれ務めた。

経歴

[編集]

著作

[編集]
  • 『未完の流通革命 大丸松坂屋、再生の25年』(日経BP社、2014年)

社会的活動・発言など

[編集]
  • 『変化を目に見える形にする』[1]
  • 『経営を変えるには社員全員の健全な危機意識と高い目標が必要』
  • 『明治時代でも現代でも、会社が潰れそうになる原因は顧客の軽視だ』
  • 『経営改革の成果が出ても、改革を減速しない』
  • 『社員との危機意識のズレがあっても、目の前にある危機を説き続ける』

家族・親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 日経ビジネス (2009年7月13日). “【時代のリーダー】奥田 務・J・フロントリテイリング社長 ネアカな理詰めの改革者”. 日経ビジネスオンライン. http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090723/200755/?rt=nocnt 2014年11月14日閲覧。 
  2. ^ 奥田務「私の履歴書10」,日本経済新聞2015年12月10日
  3. ^ “大丸社長に部長を大抜てき 奥田氏は会長兼CEOに”. 共同通信. (2003年4月17日). https://web.archive.org/web/20141129014838/http://www.47news.jp/CN/200304/CN2003041701000320.html 2014年11月14日閲覧。 
  4. ^ [1]
  5. ^ “Jフロント、奥田取締役が5月退任”. 日本経済新聞. (2014年4月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ100DR_Q4A410C1TJ2000/ 2014年11月14日閲覧。 
  6. ^ 取締役 略歴一覧株式会社三菱 UFJ フィナンシャル・グループ

関連項目

[編集]


先代
下村正太郎
大丸社長
第6代:1997年 - 2003年
次代
山本良一
先代
岡田邦彦
J.フロント リテイリング会長
第2代:2010年 - 2013年
次代
茶村俊一
先代
寺田千代乃
関西経済同友会代表幹事
2003年度 - 2004年度
次代
松下正幸