姉小路済継
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 文明2年(1470年) |
死没 | 永正15年5月30日(1518年7月7日) |
別名 | 古川済継 |
戒名 | 常済 |
官位 | 正三位・参議、飛騨国司 |
氏族 | 姉小路家(飛騨古川氏) |
父母 | 父:姉小路基綱 |
子 | 済俊、高綱(田向重継?)、娘(中院通胤室) |
姉小路 済継(あねがこうじ なりつぐ/さだつぐ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・大名・歌人。権中納言・姉小路基綱の子。飛騨国司。姉小路家(飛騨古川氏)当主。
生涯
[編集]文明2年(1470年)、姉小路基綱の嫡男として誕生。父・同様に和歌を得意とし、歌会にも度々足を運んだ。父と共に飛騨文学の祖として当地に名を残している。
永正5年(1508年)、従三位に叙せられて公卿に列し、翌永正6年(1509年)に参議に任ぜられる。
永正7年(1510年)8月21日、飛騨国において美濃国恵那郡遠山荘の地頭の遠山景正と戦った。
永正14年(1517年)、飛騨国に下向するが[1]、翌永正15年(1518年)5月30日に同国にて急死。享年48。最終官位は前参議・正三位。法名は常済。家督は子・済俊が継ぐが、以後は三木直頼の台頭を抑えきれず、姉小路家は衰退の一途を辿る。
官歴
[編集]注記のないものは『公卿補任』による。
- 時期不詳:従五位下[2]
- 長享2年(1488年) 4月17日:侍従[2]
- 延徳元年(1489年) 11月26日:従五位上[2]
- 明応2年(1493年) 正月6日:正五位下[2]
- 時期不詳:左近衛少将[2]
- 明応4年(1495年) 正月5日:従四位下[2]
- 明応5年(1496年) 正月15日:左近衛中将
- 明応7年(1498年) 2月18日:従四位上[2]
- 文亀元年(1501年) 10月:正四位下[2]
- 永正5年(1508年) 正月6日:従三位(永正4年4月17日賜位記)
- 永正6年(1509年) 正月27日:参議
- 永正9年(1512年) 正月7日:正三位
- 永正11年(1514年) 正月20日:奏慶
- 永正12年(1515年) 3月30日:辞官
- 永正15年(1518年) 5月30日:薨去(前参議・正三位)
系譜
[編集]『系図纂要』による。