宇都宮 明綱(うつのみや あきつな、嘉吉3年(1443年) - 寛正4年11月13日(1463年11月23日))は室町時代後期の武将で、下野の名門宇都宮氏十五代当主。十四代当主宇都宮等綱の子。母は小山満泰の娘。小山持政は伯父にあたる。下野守。
父の等綱が足利成氏と不仲で宇都宮城を追われ、奥州において出家・隠棲したので後を継いだ。外交方針を転換し成氏方に鞍替えし、宇都宮家の再興に腐心したが、1463年、21歳で没した。子がなかったので、等綱の養子の正綱[1]が後継になった。
- ^ ただし、近年等綱の二男、明綱の弟とする説も提唱されている。