安倍鷹野
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 大同4年閏2月28日(809年4月16日) |
官位 | 従四位下・右近衛少将 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:安倍猪名麻呂 |
安倍 鷹野(あべ の たかの)は、平安時代初期の貴族。従五位上[1]・安倍猪名麻呂の子。官位は従四位下・右近衛少将。
経歴
[編集]従五位下に叙爵の後、延暦25年(806年)2月に治部少輔に任ぜられてまもなく上総介として地方官に転じる。
同年3月に平城天皇が即位すると、4月に衛門権佐兼少納言として京官に復帰する。のち、右近衛少将兼武蔵守を務め、大同3年(808年)には従五位上から従四位下と1年の間に三階の昇進を果たしている。
人物
[編集]思いやりがあって情け深い性格で、多くの人を抜擢したという[2]。
『日本後紀』における鷹野の薨伝には、大同2年(807年)に発生した伊予親王の変に連座して拷問を受けるも罪を認めず、藤原仲成・薬子兄妹に唆された平城天皇の命令により大杖で打たれ、背中が崩れ爛れて死亡した侍従・中臣王との関係を示唆する記述があるが、該当部分が欠字となっており、どのような関係であったか明らかでない[2]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位下
- 延暦25年(806年) 2月10日:治部少輔。2月16日:上総介。4月18日:衛門権佐。4月21日:少納言
- 時期不詳:従五位上。右近衛少将兼武蔵守
- 大同3年(808年) 正月25日:正五位下。7月9日:内蔵頭、右近衛少将武蔵守如元。11月17日:従四位下
- 大同4年(809年) 閏2月28日:卒去(従四位下)