安定(あんてい[1]、生没年不詳)は、高句麗の使者[1]。
『日本書紀』によると、継体天皇十年(516年)百済の使節・斯那奴阿比多、百済の将軍・灼莫古、高句麗の使者・安定がともに来日し、日本との修好につとめたという[1]。
百濟遺灼莫古將軍・日本斯那奴阿比多,副高麗使安定等,來朝結好。 — 日本書紀、巻第十七