安椿生
安椿生 | |
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生誕 | 1912年8月12日 日本統治下朝鮮 黄海道海州 |
死没 | 2011年1月26日(98歳没) 大韓民国 ソウル特別市江東区 |
所属組織 | 国民革命軍 韓国光復軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 | 少校(中国軍) 正領(光復軍) 中将(韓国陸軍) |
除隊後 | 国会議員、独立記念館館長 |
墓所 | 国立ソウル顕忠院愛国志士墓域211号 |
安椿生 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 안춘생 |
発音: | アン・チュンセン |
日本語読み: | あん ちんせい |
ローマ字: | An Chun-saeng |
安 椿生(アン・チュンセン、안춘생)は日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の軍人、国会議員、企業家。本貫は順興安氏(순흥안씨)[1]。別名は王衡。
独立運動家の安鳳生は兄[2]、独立運動家で国会議員の趙時元(趙素昻の弟)は岳父[3]。また、安椿生は独立運動家の安重根、安定根、安恭根、安明根、安敬根の従甥、独立運動家の安珍生、安美生(金九の息子の妻)および実業家の安俊生の再従兄弟である[4][5][6]。
経歴
[編集]1918年、家族と共に満州に亡命。
中央陸軍軍官学校洛陽分校韓人特別班に入学。数か月教育を受けた後、南京の本校に移動して第1総隊歩兵大隊第3隊に配属[7]。
1936年6月、第10期歩兵科卒業。中国軍第2師に配属される。1937年、第二次上海事変で戦闘中に大腿を負傷[8]。1938年、湖南省の警備司令部に服務。1939年10月、軍政府監護大隊に服務。1940年6月、李俊植などと共に軍事特派団で活動。光復軍が創設されると、同年11月に第1支隊幹部。山西省大同で工作活動。1942年、第2支隊第1区隊長。1945年、国内挺進軍第1地区隊長[9]。終戦後、駐寧支隊長。
帰国後は民族青年団訓練部長を務めていた。1949年、陸軍士官学校第8期特別第1班卒業[10]、任大領(軍番12448番)。同年1月7日、陸軍本部監察監(~1951年10月21日)[11]。1951年7月、国民防衛軍事件に関する陸軍中央高等軍法会議の審判官。同年10月、陸軍士官学校校長、任准将。1952年11月10日、陸軍本部監察監[12]。1953年5月16日、任少将[13]。1953年9月23日、陸軍本部軍需局長[14]。教育総監部副総長などを歴任。1956年6月、陸軍大学卒業。同年7月、第8師団長。1957年、第2軍副司令官。1959年6月、第2管区司令官[15]。1959年7月6日、陸軍本部人事参謀部長[16]。1960年7月、国防部次官補[17]。1961年4月、中将昇進と同時に予備役編入[18]。
予備役編入後は大韓重工業公社総理事。1963年2月、仁川重工業株式会社社長。1967年1月、民主共和党に入党。1969年1月、栄進運輸商会社長。1972年、正邦物産社長。1973年3月、第9代国会議員(維新政友会)当選、国会商工委員会委員。同年5月、光復会会長。1975年5月、総力安保国民協議会代表。同年9月、国家予算決算委員会委員。1976年2月、維新政友会2期議員。同年3月、国会商工委員会委員。1978年3月にヨーロッパ各国の発電施設を視察。同年12月、維新政友会3期議員候補から脱落。
1982年10月、独立記念館建立促進委員会委員長[8]。
平和統一政策諮問委員、初代独立記念館館長、老人会会長などを務めた。
2011年1月26日午後4時23分、病気のため中央報勲病院にて死去。享年98[19]。
栄典
[編集]- レジオン・オブ・メリット - 1954年1月20日[20]
- 建国勲章独立章 - 1963年
- 国民勲章冬柏章 - 1976年
- 国民勲章無窮花章 - 1987年
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “안봉생(安鳳生)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年9月30日閲覧。
- ^ “[다시쓰는 독립운동列傳] Ⅳ-3. 민족사상운동 앞장 조소앙 일가” (朝鮮語). 경향신문 (2005年3月14日). 2023年9月30日閲覧。
- ^ 김귀근 (2015年5月1日). “'군인정신 사표' 안중근 장군 동상 육사에 우뚝 서다” (朝鮮語). 연합뉴스. 2023年9月30日閲覧。
- ^ “[안중근 가계도] 40여명 독립운동 헌신 '名文家'” (朝鮮語). 전북도민일보 (2009年3月19日). 2023年9月30日閲覧。
- ^ “독립운동가열전 - 안중근의 생애와 구국운동”. 독립기념관 한국독립운동정보시스템. 2023年9月30日閲覧。
- ^ 中国黄埔軍校網. “南京本校第十期歩兵大隊第三隊学員姓名籍貫表” (中国語). 2016年3月26日閲覧。
- ^ a b 金 2015, p. 253.
- ^ 韓 1993, p. 295.
- ^ “6・25戦争史 第1巻” (PDF) (朝鮮語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 332. 2016年11月18日閲覧。
- ^ “호국전몰용사공훈록 제5권(창군기)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 594. 2018年9月24日閲覧。
- ^ 박동찬 2014, p. 102.
- ^ “元 少將, 中將으로” (朝鮮語). 부산일보. (1953年5月29日) 2019年10月22日閲覧。
- ^ 박동찬 2014, p. 101.
- ^ “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日) 2019年10月22日閲覧。
- ^ “陸軍將星級異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年7月7日) 2019年10月22日閲覧。
- ^ “안춘생 소장 내정” (朝鮮語). 부산일보. (1960年7月26日) 2019年10月22日閲覧。
- ^ “安 中將 豫備役 編入” (朝鮮語). 부산일보. (1961年3月27日) 2022年11月10日閲覧。
- ^ “[명복을 빕니다] 애국지사 안춘생 前광복회장” (朝鮮語). 東亜日報. (2011年1月27日) 2015年7月24日閲覧。
- ^ “Ahn Choon Saeng”. Military Times. 2015年11月28日閲覧。
参考
[編集]- 金信 (2015). 翱翔在祖國的天空-韓國臨時政府主席金九公子金信回憶錄. 藍海創意文化. ISBN 978-986-88557-9-3
- 韓詩俊 (1993). 韓國光復軍研究. 一潮閣
- 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1
- 世界政経調査会 編『韓国・北朝鮮人名辞典 1979年版 上巻』世界政経調査会、1980年。
- “安椿生”. 大韓民国憲政会. 2014年6月26日閲覧。
- “安椿生前光復会長死去” (朝鮮語). 中央日報ニュース. (2011年1月27日) 2014年12月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- “黄埔軍校同学録-王衡” (中国語). 浙江档案网. 2016年12月20日閲覧。
軍職 | ||
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先代 楊国鎮 劉興守 | 大韓民国陸軍本部監察監 3代:1949.1.7 - 1951.10.21 5代:1952.11.10 - 1953.9.23 | 次代 劉興守 劉興守 |
先代 (休校) | 陸軍士官学校校長 第9代:1951.10.30 - 1952.11.10 | 次代 金鐘五 |
公職 | ||
先代 趙時元 | 大韓民国光復会会長 第4代:1973.5.28 - 1976.5.20 | 次代 朴始昌 |