安達久
安達 久(あだち ひさし、1899年(明治32年)9月26日[1] - 1974年(昭和49年)4月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]香川県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]。1930年(昭和5年)陸軍大学校第42期を優等で卒業[4]。
補任課高級課員を経て、1940年(昭和15年)8月、支那派遣軍参謀となり[2]、支那事変に出征する[1]。1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進む[2]。大東亜戦争に入ると第6軍高級参謀、第2方面軍作戦課長と関東軍に勤務する[1]。教育総監部第2課長を経て、1945年(昭和20年)1月、第40軍参謀長となり、同年3月、陸軍少将に進んだ[1][2]。本土決戦に備え、鹿児島県伊集院で防衛陣地を構築する中終戦を迎えた[1]。終戦後の10月18日に大分連隊区司令官に就任した[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。