宝井琴凌
宝井 琴凌(たからい きんりょう)は、講談師の名跡。当代は、四代目。
由緒
[編集]「琴凌」とは、師匠の「馬琴」を「凌ぐ」という意味である。
初代琴凌は東流斎という亭号だったが、肥前松浦侯の屋敷に招かれて「赤穂義士銘々伝・大高源吾」(芝居の「松浦の太鼓」)を読んだことからお出入りとなり、松浦侯の勧めで「東流斎」から俳人の宝井其角にちなんだ「宝井」へ改名した。
三代目琴凌は、四代目宝井馬琴の高弟である。師匠の死後、「五代目宝井馬琴」を名乗ることもできたのにもかかわらず、末弟である宝井琴鶴(改メ五代目宝井馬琴)に名跡を譲った。このことに感謝した五代目宝井馬琴は「俺(五代目馬琴)の目の黒いうちは一門に琴凌を作らない」と公言し、その弟子の六代目宝井馬琴も五代目の考えを尊重した。その結果、三代目宝井琴凌の没後、88年にわたり「琴凌」を継ぐ者は現れなかった。