室兼次
室 兼次 | |
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生誕 | 1876年11月22日 日本 大阪府 |
死没 | 1966年1月26日(89歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1897年 - 1932年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
除隊後 | 財団法人阪奈奨武会理事長、東北天然瓦斯興業株式会社社長 |
室 兼次(むろ けんじ、1876年(明治9年)11月22日[1] - 1966年(昭和41年)1月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]大阪府出身。1897年(明治30年)11月、陸軍士官学校(9期)を卒業し[1]、砲兵少尉に任官した。1908年(明治41年)11月、陸軍大学校(20期)を卒業[1]。
陸軍大学校兵学教官、野砲兵第6連隊長、第10師団参謀長、野戦重砲兵第2旅団長、陸軍野戦砲兵学校教育部長、同校長を歴任[2][3]。1928年(昭和3年)3月、陸軍中将[1]。1930年(昭和5年)8月、第20師団長に就任[1]。満州事変の際には混成第39旅団を越境出動させ、さらに錦州攻略に参加した[1]。1932年(昭和7年)8月に待命となり、予備役編入となった[1]。
その後、財団法人阪奈奨武会理事長[4]、東北天然瓦斯興業株式会社社長を務めた[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 日本陸軍将官辞典 2001, p. 720.
- ^ 大衆人事録 1932.
- ^ 外山 1981, 142頁.
- ^ 「財団法人事業報告の件」 アジア歴史資料センター Ref.C04014778700
- ^ 大衆人事録 1943.
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。