宮下順一郎
宮下 順一郎 みやした じゅんいちろう | |
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生年月日 | 1952年5月1日 |
出生地 | 日本 青森県むつ市 |
没年月日 | 2014年5月19日(62歳没) |
死没地 | 日本 青森県むつ市 (むつ総合病院) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 従五位 |
子女 | 長男・宮下宗一郎(青森県知事) |
青森県むつ市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2007年7月15日 - 2014年5月19日[1] |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1995年 - 2007年 |
宮下 順一郎(みやした じゅんいちろう、1952年5月1日[2][3] - 2014年5月19日[3])は、日本の政治家。青森県むつ市長(2期)。
来歴
[編集]青森県むつ市生まれ[2]。青森県立青森高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業[2]。卒業後は帰郷し、学習塾を開く[2]。その後、酒販店を経営する[2]。
1995年、むつ市議会議員に当選[2]。2003年から2007年まで同市議会議長[4]。
3期目途中の2007年7月、杉山粛の死去によるむつ市長選挙に立候補し、使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致などを掲げて初当選する。2011年7月の市長選では市庁舎移転や市の赤字解消の実績を強調して再選[5][6]。
市長を2期務め[3]、2期目在職中の2014年5月19日、同市内のホテルで開催された異業種組織との総会に参加、午後6時過ぎから行われた懇親会で乾杯の挨拶をしようとしたとき意識を失って倒れ、同日午後9時36分、救急車で搬送されたむつ総合病院でクモ膜下出血により急死した[5][6][7]。62歳[3][5][6]。死没日をもって旭日小綬章追贈、従五位に叙される[8]。
没後に行われたむつ市長選挙では長男の宮下宗一郎が立候補、当選した[9]。
脚注
[編集]- ^ 藤本一美「戦後青森県の市長選挙と歴代市長⑦」『専修法学論集』第142巻、専修大学法学会、2021年7月、117-162頁、CRID 1390009226452598784、doi:10.34360/00012268、ISSN 03865800、2023年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『青森県人名事典』1059頁。
- ^ a b c d 『現代物故者事典 2012~2014』570頁。
- ^ “歴代正副議長”. むつ市 (2019年10月31日). 2022年3月8日閲覧。
- ^ a b c “むつ市長が急死 懇親会あいさつ中に倒れる”. 朝日新聞. (2014年5月19日). オリジナルの2014年5月19日時点におけるアーカイブ。 2022年2月5日閲覧。
- ^ a b c “宮下むつ市長が死去”. 陸奥新報. (2014年5月20日). オリジナルの2014年5月23日時点におけるアーカイブ。 2022年2月5日閲覧。
- ^ “むつ市長が急死 青森、会合中倒れる”. MSN産経ニュース. (2014年5月20日). オリジナルの2014年5月21日時点におけるアーカイブ。 2022年9月30日閲覧。
- ^ 『官報』第6310号7頁 平成26年6月23日号
- ^ “宮下宗一郎・青森県むつ市長”. 時事通信. (n.d.) 2022年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]公職 | ||
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先代 杉山粛 | 青森県むつ市長 2007年 - 2014年 | 次代 宮下宗一郎 |