寺田吉孝
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県福岡市 |
生年月日 | 1953年2月4日(71歳) |
身長 体重 | 172 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、外野手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト6位 |
初出場 | 1977年7月15日 |
最終出場 | 1982年10月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について |
寺田 吉孝(てらだ よしたか、1953年2月4日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]筑紫工業高等学校では、捕手として1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、博多工に敗退。高校の1年下に鶴崎茂樹がいた。
同年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。辻佳紀、岩木康郎ら捕手陣の壁を破れず二軍暮らしが長かった。捕手としては1977年に1試合に出場したのみで、地肩の強さを活かすため外野手に転向。同年はウエスタン・リーグで首位打者を獲得、一軍でも6試合に指名打者として先発出場(うち3試合に偵察要員が使われた)を果たす。
1978年オフに神部年男・佐藤竹秀と共に、チャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。主に代打として起用されるが、1979年には2試合に一番打者、外野手として先発。1980年11月に自由契約となり広島東洋カープに移籍。ここではあまり活躍の機会がなく、1982年限りで現役引退。
引退後は1983年から2年間、南海ホークスの二軍守備コーチに就任した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1977 | 近鉄 | 21 | 38 | 32 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | 0 | 6 | 1 | .188 | .297 | .188 | .485 |
1979 | ヤクルト | 67 | 69 | 62 | 5 | 15 | 4 | 0 | 1 | 22 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 1 | 19 | 0 | .242 | .319 | .355 | .674 |
1981 | 広島 | 30 | 26 | 20 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | .150 | .346 | .150 | .496 |
通算:3年 | 118 | 133 | 114 | 10 | 24 | 4 | 0 | 1 | 31 | 10 | 4 | 0 | 1 | 0 | 17 | 1 | 1 | 31 | 1 | .211 | .318 | .272 | .590 |
年度別守備成績
[編集]年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
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1977 | 1 | 0 | 0 | 0 | ---- |
記録
[編集]- 初出場:1977年7月15日、対クラウンライターライオンズ後期1回戦(平和台球場)、2回表に石山一秀の代打として出場
- 初打席・初安打:同上、2回表に竹田和史から
- 初先発出場:1977年7月16日、対クラウンライターライオンズ後期2回戦(平和台球場)、6番・指名打者として先発出場
- 初打点:1977年8月20日、対クラウンライターライオンズ後期8回戦(日生球場)、7回裏に永射保から
- 初本塁打:1979年8月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(明治神宮野球場)、6回裏に西井哲夫の代打として出場、堀内恒夫から逆転決勝3ラン
背番号
[編集]- 56 (1971年 - 1976年)
- 40 (1977年 - 1980年)
- 38 (1981年 - 1982年)
- 74 (1983年 - 1984年)