小俣政一
小俣 政一(おまた まさいち、1879年(明治12年)3月1日[1] - 1933年(昭和8年)9月2日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。医師。
経歴
[編集]山梨県北都留郡賑岡村(現在の大月市)出身[3]。1900年(明治33年)、済生学舎を卒業[2]。東京小児科婦人科院を開業し[4]、東京府医師会理事を務めた[3]。東京府会議員、同参事会員、東京市会議員、同参事会員を歴任[3]。また『江東公論』の主筆を務めた[3]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回でも再選を果たした。
1931年(昭和6年)、東京市疑獄事件(板舟権疑惑・青物市場疑惑等)により東京地方裁判所で懲役2ヵ月・追徴金1200円の判決を受けたが[5]、翌年に東京控訴院で無罪判決が下った[6]。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第59回帝国議会衆議院議員名簿』、1930年、p.2。
- ^ a b 議会制度七十年史 衆議院議員名鑑 1962, p. 90.
- ^ a b c d 衆議院要覧 1928, p. 180.
- ^ 大衆人事録 1932, p. オ46.
- ^ 『昭和8年 時事年鑑』時事新報社、1932年、pp.380-381。
- ^ 『昭和9年 時事年鑑』時事新報社、1933年、pp.385。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 『昭和三年 衆議院要覧(乙)』衆議院事務局、1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年。