小河重清
時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 1148年? |
死没 | 1221年 |
別名 | 小川 重清、山田 重清、水野 重清、又三郎 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝→頼家→実朝→後鳥羽天皇 |
氏族 | 清和源氏満政流(尾張源氏) |
父母 | 父:小河重房、母:不明 |
兄弟 | 重清、重満 |
子 | 友重 養子清房(経村) |
小河 重清(おがわ しげきよ、1148年?-1221年)は、鎌倉時代の武将。小河重房の子[1]。尾張源氏。小河氏2代当主。
概要
[編集]父・重房の嫡男として尾張国春日井郡山田庄水野(現・愛知県瀬戸市) にて誕生。その後、尾張国知多郡小川村(知多郡阿久比郷小河、現在の愛知県知多郡東浦町緒川)に移り住む。[2]嫡男の友重が早世したため、近衛道経の子の経村(清房)を養子とする。祖父重房と父重清から一字づつとり、以後、清房と名乗った。[3]後鳥羽天皇長衛尉として朝廷の職官にもあたる。この頃、鎌倉幕府とは付かず、離れずの関係にあった。1221年(承久3年)に起こった『承久の乱』で朝廷側とし参戦し、美濃国にて討死。ともに戦った清房は、伯父の関白近衛家実のもと隠れて免れた。[4]
脚注
[編集]- ^ “水野氏(清和源氏・満政流)の系図。小河重房〜水野清忠の系図”. 2023年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月19日閲覧。
- ^ “「於大の方」と水野氏系図”. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “水野家の新宮入封【紀伊国新宮水野家】”. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “愛知の城 尾張 高藪城”. 2023年1月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 尊卑分脈
- 出典
- 続群書類従 29巻上(雑部) 塙保己一, 太田藤四郎 1958年
- 群書系図部集3(第2巻)
- 新訂寛政重修諸家譜26(索引 4 - 516 ページ・24: 索引 2 - 164 ページ)
- 網野善彦著作集(第4巻-124 ページ)
- 姓氏家系大辭典(第1巻)