小田切直刻
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年(1700年) |
死没 | 元文3年9月1日(1738年10月13日) |
別名 | 大助、頼母 |
戒名 | 似清 |
墓所 | 赤坂松泉寺 |
主君 | 徳川将軍家 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切直利、母:大澤尚親娘 養父:小田切直広 |
兄弟 | 直広、女子、女子(山本平九郎某娘、近藤用赴妻)、女子(直広妻)、某(三次郎)、女子(中根正共妻)、直刻 直刻、某(萬五郎)、某(豊次郎)、女子(遠藤常之妻)、某(八十郎)、女子(小濱降恭妻)、女子(多賀常房妻)、直棊 |
妻 | 生駒俊定娘 |
子 | 養子:直棊、女子(鳥居忠雄妻)、女子 |
小田切 直刻(おだぎり なおとき)は、江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本。
経歴
[編集]小田切直利の四男として生まれ、のち直利の長男小田切直広の養子となる[1]。正徳元年7月26日(1711年9月8日)徳川家宣に拝謁し、享保18年11月6日(1733年12月11日)家督を相続した[1]。元文3年9月1日(1738年10月13日)死去した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 堀田正敦『寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年 。