小畠廣志
こばたけ ひろし 小畠 廣志 | |
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生誕 | 東京都武蔵野市 |
死没 | 1996年11月8日(61歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 彫刻家 |
活動期間 | 1961年 - 1996年 |
小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 1996年11月8日)は、東京都武蔵野市出身の彫刻家。東京芸術大学卒業後、二科会に出品するとともに個展、グループ展、野外展などで作品を発表した。
初期の抽象的で有機的形態の石彫、白セメント、硬質石膏と鉄などによる作品から1963年を境に具象的な木彫作品を制作するようになる。1969年に開校した美学校に木彫刻工房を開く。1972年頃から吉祥寺のアトリエでイタリア蝋型美術鋳造を始め、木彫と共にブロンズ作品を多く発表する。美学校から独立したKOBATAKE彫刻工房で後進の指導を続けるとともに、工房内に大型の鋳造設備を備えスケールのある公共彫刻を各地に制作した。
経歴
[編集]- 1935年 - 東京都武蔵野市に洋画家の小畠辰之助と、日本画家(青龍社)の小畠鼎子の三男として生まれる
- 武蔵野市立第一小学校、日本学園中学校・高等学校に学ぶ
- 小学生の頃、木彫家後藤良に彫刻刀や鑿の研ぎ、こなしの手ほどきを受ける
- 1959年 - 東京芸術大学美術学部彫刻科(菊池教室)卒業
- 二科会(1984年に退会)に出品、特選受賞
- 1961年 - 二科会金賞受賞。現代美術の実験展(東京国立近代美術館)
- 1962年 - 「彫刻3人展-小畠広志、掛井五郎、若林奮」(銀座画廊、東京)
- 1963年 - 彫刻の新世代展(東京国立近代美術館)
- 1969年 - 現代思潮社美学校が設立され木彫クラスを開講
- 1971年 - イタリア蝋型美術鋳造によるブロンズ像の試作を始める
- 1972年 - 二科会会員努力賞受賞。吉祥寺のアトリエに鋳造設備を備え自ら蝋型鋳造を始める
- 1974年 - 第14回日本国際美術展(東京都美術館) 作品集『Hiroshi Kobatake』発行[2]
- 1975年 - 美学校小畠廣志彫刻工房(埼玉県入間市)で彫刻全般の教育、制作をすすめ大型の蝋型鋳造設備も整える
- アトリエ出版社より『木彫を始める人へ』を出版[3]
- 1977年 - 『涼炎』で第6回平櫛田中賞受賞
- 1980年 - 現代彫刻のあゆみ展(神奈川県民ホールギャラリー)
- 美学校から独立しKOBATAKE彫刻工房を設立
- 1982年 - 第8回須磨離宮公園現代彫刻展(群馬県立近代美術館賞)
- 1983年 - 第10回現代日本彫刻展(宇部・常盤公園)
- 1985年 - 現代彫刻の歩み- 木の造形(神奈川県民ホールギャラリー)
- 1986年 - '86彫刻大展日韓合同(ソウル・藝画廊)
- 1990年 - 第2回現代日本木刻フェスティバル(岐阜県関市)以後第4回まで出品
- 1996年 - 死去、享年61歳
- 2001年 - 小畠廣志が作った鈴木平三郎「仕事を成しえた男」展(三鷹市美術ギャラリー)
- 2007年 - 小畠廣志 木彫展(徳島県・相生森林美術館)
- 2019年 - 小畠廣志 木に呼ばれる(武蔵野市立吉祥寺美術館)[4]
主な作品
[編集]初期に『いきもの』などの白セメントによる作品。木彫の『蝗』のシリーズ(1967~1970年)。1974年イタリアで鋳造した『青炎』に始まるブロンズの作品群。木彫の2点対の大作『アダムとイブ』(1994年)などがある。
『ある教育』(相生森林美術館蔵)、『涼炎』(井原市立田中美術館蔵)、『青炎』(韓国国立現代美術館蔵)、『1982年のアップル』(群馬県立近代美術館蔵)、『自然への門』(北海道穂別町)、『原耕の像』(鹿児島県枕崎市)他、全国に公共彫刻、野外彫刻があり、主にブロンズ像だが石彫作品もある。北海道穂別町(現・むかわ町)に設置された『自然への門』は前述の木彫『アダムとイブ』を原型としてブロンズに鋳造したもの。
1974年、吉祥寺に東京近鉄百貨店が開店した際、自身の製作した『ユニコーン像』を寄贈、同店1階正面入口に設置された[4][5]。
参考文献
[編集]- 小畠広志『Hiroshi Kobatake』私家版、1974年。
- 年譜、pp.22-25。今泉省彦「小畠広志」、pp.35-39。
- アートグラフ編集部「立体の美 小畠廣志の彫刻」『アートグラフ』2月号、協和出版、1981年、pp.33-39。
- 相生森林美術館『小畠廣志 木彫展 図録』、2007年。
- 年譜、pp.30-35。東浦博史「小畠廣志と木彫」、pp.28-29。
脚注
[編集]- ^ 1962年11月22日早稲田大学大隈講堂における埋葬彫刻については「今泉省彦 絵描き共の変てこりんなあれこれの前説4,5」(仁王立ち倶楽部1985年10,11月)に詳細な記述がある。
- ^ 作品集『Hiroshi Kobatake』1974年。中東、ヨーロッパに行くにあたり制作した私家版の作品集(英文併記)。今泉省彦「小畠広志」収録。
- ^ アトリエ No.584『木彫を始める人へ』(アトリエ出版社)1975年10月。木彫の技法書だが欧米、日本の木彫史についても豊富な図版を使った記述があり、彫刻家(澤田政廣、淀井敏夫、菅原安男、豊福知徳)のエッセイ、今泉省彦による論考「発想に関するひとつの覚書」(『美術工作者の軌跡 今泉省彦遺稿集』照井康夫編 海鳥社 2017年 に収録)を掲載している。
- ^ a b 武蔵野市立吉祥寺美術館「小畠廣志 木に呼ばれる」 武蔵野市観光機構(むー観)公式ブログ、2019年8月2日
- ^ 2001年に閉店し、現在はヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺となっている。