山入氏
山入氏 | |
---|---|
本姓 | 清和源氏義光流佐竹庶流 |
家祖 | 山入師義 |
種別 | 武家 |
主な根拠地 | 常陸国久慈郡山入邑 |
著名な人物 | 山入師義 山入与義 |
支流、分家 | 小田野氏(武家) 国安氏(武家) 高柿氏[注釈 1](武家)など |
凡例 / Category:日本の氏族 |
山入氏(やまいりし)は、武家のひとつ。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の傍系常陸源氏 佐竹氏の一門。新羅三郎義光の流れである。
概要
[編集]山入氏は、佐竹師義が山入氏を称したことに始まる。佐竹一門の中でも筆頭的存在で、佐竹本家の上杉氏からの入嗣の際も本家に対して反抗した。なお、山入一族自身は佐竹姓を利用しつづけており、その意味では山入氏という表現は不適切である。
山入氏ら佐竹庶家と佐竹本家との抗争は約100年間続いた。これを山入の乱、山入一揆という。
1490年、山入義藤・山入氏義父子は佐竹宗家の太田城を奪う。しかし、岩城常隆の支援を受けた佐竹義舜の攻撃を受け1506年に山入氏義とその子の義盛も殺され、山入氏は滅亡した。義盛の子息たちは幼少を理由に許されたという。
歴代当主
[編集]- 山入師義
- 山入与義
- 山入義郷
- 上総介。義郷の死後、家督は祐義が継承した。義郷の子孫からは高柿氏(松平氏)が興っている。
- 山入祐義
- 山入義知
- 山入義真
- 義知の戦死後、山入氏の領土を固めるとともに佐竹氏本家との対立を継続した。子に義顕、義藤がいる。
- 山入義藤
- 山入氏義
- 刑部大輔。義藤の存命時は義藤としばしば行動を共にし、義舜を苦しめた。義藤の没後も山入氏の当主として義舜と戦ったが、上述のように敗れ、子の義盛と共に殺害された。
- 山入義盛
- 左京大夫。氏義の子。氏義と共に殺害された。
- 山入義遠
- 氏義、または義盛の子。
- 山入義嗣
- 氏義、または義盛の子。
一族
[編集]- 小田野氏(山入分家)
- 高柿氏(山入分家、松平氏)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 松平氏とも呼ばれる。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 加地宏江「第Ⅱ篇 第一部 第二章 「『源威記』の作者」」『中世歴史叙述の展開 : 『職原鈔』と後期軍記』吉川弘文館、1999年7月。ISBN 4642027793。