山口昇 (軍事評論家)
2011年撮影 | |
人物情報 | |
---|---|
全名 | 山口昇 |
生誕 | 1951年 |
出身校 | 防衛大学校 陸上自衛隊幹部学校(指揮幕僚課程修了) タフツ大学フレッチャー・スクール(修士) |
学問 | |
研究機関 | 陸上自衛隊研究本部 防衛研究所 防衛大学校 国際大学 |
主な受賞歴 | 瑞宝中綬章 |
山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の陸上自衛官、研究者、軍事評論家。最終階級は陸将。国際大学国際関係学研究科教授。タフツ大学フレッチャー・スクール修士。元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障客員フェロー。三重県出身。
経歴
[編集]自衛官時代
[編集]1974年、防衛大学校卒業。第18期。同期に火箱芳文、杉本正彦など。
同年、陸上自衛隊航空科部隊配属。1983年、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。1988年フレッチャー・スクール修了、同修士号取得。1991年、ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員。
外務省北米局日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官を経て、1999年から2001年まで外務省在アメリカ合衆国日本国大使館首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館付参事官(国防・陸軍担当))。
2001年から陸上自衛隊航空学校副校長、2002年から陸上自衛隊研究本部総合研究部長、2005年から防衛研究所副所長を務めたのち、2006年から第4代陸上自衛隊研究本部長として勤務し、2008年12月退官。
研究者として
[編集]2009年から防衛大学校教授[1]。在職時より、米政府・軍の高官らと緊密なネットワークを構築。また、研究本部の創設・運営にも尽力。自らも「軍人スカラー(軍人学者、warrior scholar)」などと自称し、現職時代から多くの雑誌やカンファレンス等に寄稿し、制服組を代表する論客である。
防衛大学校教授、同校防衛学教育学群安全保障・危機管理教育センター長として日米同盟、軍事史の教育を行う一方、論壇でも活動している。
2011年3月14日に発生した東日本大震災に際し、9月まで危機管理・復興問題担当の内閣官房参与を務めた。東京財団上席研究員も歴任[2]。
2015年10月 - 現在[3] 国際大学国際関係学研究科教授[4]
2017年7月、外務省「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」委員に就任[5]。
著作
[編集]監修
[編集]- ルパート・スミス『軍事力の効用――新時代「戦争論」』(佐藤友紀訳、原書房、2014年)
- チャック・ウィルズ『図解 世界の武器の歴史 石斧から自動火器まで』(堀口容子訳、グラフィック社、2015年)
脚注
[編集]出典
[編集]- 防衛年鑑(2008)
- 防衛省将官人事(2005年~2008年)