山口茂吉
山口 茂吉(やまぐち もきち、1902年4月11日 - 1958年4月29日)は、昭和期の日本の歌人。
生涯
[編集]兵庫県多可郡杉原谷村清水(現・多可町)に生まれる。1924年(大正13年)に中央大学商学部を卒業し、明治生命東京本社に入社。当時、会社の幹部として作家の水上瀧太郎がいて、その感化を受けることが多かったという[1]。同年「アララギ」入会、島木赤彦に学び赤彦が没後は斎藤茂吉に師事。斎藤茂吉・土屋文明の助手として「アララギ」の編輯・校正に携わることになる。1944年(昭和19年)には明治生命を辞職し、株式会社住友本社に入社する[1]。1946年(昭和21年)に東京歌話会結成。1948年「アザミ」創刊主宰。1957年(昭和32年)以降は『斎藤茂吉全集』の編集校訂に携わる。
師の斎藤茂吉と同名であることから「小茂吉」と呼ばれることがあった[2]。歌人では岡麓・中村憲吉、画家では平福百穂と親しく[1]、歌道の弟子として加藤淑子がいる。
作品集・編著
[編集]- 第1歌集『杉原』(1942年、墨水書房)
- 第2歌集『赤土』(1941年、墨水書房)
- 第3歌集『海日』(1946年、青磁社)
- 第4歌集『高清水』(1951年、長谷川書房)
- 第5歌集『鐵線花』(1960年、新星書房)
- 『斎藤茂吉』(1958年、雄鶏社)
参考文献
[編集]- 『加藤淑子著作集 2 山口茂吉』(2009年、みすず書房)
- 『山口茂吉日記』(2002年、翻刻の会)
脚注
[編集]- ^ a b c 岡山巖・編『現代短歌全集 第六巻』創元文庫、1952年、232p頁。
- ^ 山口茂吉の大寒の歌 短歌一口講座 大寒のひかり