山城吉超
引退 | |
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ポジション | パワーフォワード |
基本情報 | |
愛称 | "ヨシキ" |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1984年9月2日(40歳) |
出身地 | 沖縄県島尻郡久米島町 |
身長(現役時) | 189cm (6 ft 3 in) |
体重(現役時) | 105kg (231 lb)[1] |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2007年 ドラフト外 |
選手経歴 | |
2007-2014 | 琉球ゴールデンキングス |
山城 吉超(やましろ よしき、1984年9月2日 - )は、沖縄県島尻郡久米島町出身のプロバスケットボール選手である。2007年からbjリーグの琉球ゴールデンキングスに所属し、2014年に引退した。ポジションはパワーフォワード。
来歴
[編集]日本人の父親とアメリカ人の母親を持つ。投擲選手の山城美貴は実妹である。久米島町立具志川中学校に入学した12歳の時にバスケットボールを始める。中学時代までは平行して沖縄角力にも取り組み、県大会優勝などの実績をあげ、二子山部屋、高砂部屋といった角界や、柔道の強豪校からの誘いももあったが[2]、バスケットボールを続けるために興南高校への進学を選んだ。
興南高校に進学後、大田欣伸の指導のもと、沖縄県の少年男子国体チームに2年連続で選出され、全国大会を経験する。また、興南では、後にチームメイトとなる与那嶺翼、金城茂之を擁する北中城高校との対戦を経験している[3]。
高校卒業後はスポーツ推薦を受け大阪商業大学に進学したが、2年次に腰を痛め、1年間の休養を強いられる[3]。この間、体格を見込まれ総合格闘技への誘いもあったが、2005年にbjリーグが開幕し、大学の先輩だった城宝匡史が大阪エヴェッサに入団したこともあり、バスケットボールを続けることを決めた[4]。
大学卒業後の2007年、この年に創設された琉球ゴールデンキングスの練習生となり、その後選手契約を結ぶ[4]。また、同年の国体代表にも選出された。
以後琉球一筋でプレイし、2008-09、2011-12、2013-14の3シーズンの優勝を経験した。一方で2012年4月には左膝前十字靭帯を断裂し、全治8か月の診断を受ける[5]。この怪我によりbjリーグ 2012-13シーズンは2013年2月まで出場できず、出場試合数はキャリア最低の11に留まった。
2013-14シーズン終了後の2014年6月、球団より引退することが発表された [1][6]。料理を得意としていた山城は飲食業へ転身し[7]、那覇市内にスポーツバーを開店した[8]。
個人成績
[編集]略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007-08 | 沖縄 | 19 | 0 | 2.5 | 42.9% | 14.3% | 50.0% | 0.2 | 0.2 | 0.1 | 0 | 0.5 | 0.8 |
2008-09 | 沖縄 | 28 | 0 | 5.0 | 35.9% | 0.0% | 71.4% | 0.8 | 0.5 | 0 | 0 | 0.4 | 1.4 |
2009-10 | 沖縄 | 25 | 0 | 3.7 | 40.9% | - | 50.0% | 0.6 | 0.4 | 0 | 0 | 0.4 | 1 |
2010-11 | 沖縄 | 47 | 0 | 5.3 | 47.5% | 100.0% | 64.7% | 1.1 | 0.3 | 0.1 | 0 | 0.5 | 1.7 |
2011-12 | 沖縄 | 25 | 1 | 4.0 | 40.0% | - | - | 0.7 | 0.3 | 0.1 | 0 | 0.4 | 0.8 |
2012-13 | 沖縄 | 11 | 0 | 3.7 | 44.4% | - | 50.0% | 0.5 | 0.5 | 0.1 | 0 | 0.2 | 0.8 |
2013-14 | 沖縄 | 34 | 4 | 4.7 | 37.5% | - | 57.1% | 0.6 | 0.1 | 0 | 0 | 0.5 | 1.1 |
合計 | 189 | 5 | 4.4 | 41.4% | 22.2% | 61.3% | 0.7 | 0.3 | 0.1 | 0 | 0.4 | 1.2 |
出典
[編集]- ^ a b “キングス山城が引退”. 沖縄タイムス. (2014年7月1日) 2014年7月10日閲覧。
- ^ 木村達郎 2009, p. 210-211.
- ^ a b 木村達郎 2009, p. 212.
- ^ a b 木村達郎 2009, p. 213.
- ^ 『山城選手負傷のお知らせ』(プレスリリース)琉球ゴールデンキングス、2012年4月19日 。2014年7月10日閲覧。
- ^ 『山城吉超選手、引退のお知らせ』(プレスリリース)琉球ゴールデンキングス、2014年6月30日 。2014年7月10日閲覧。
- ^ 渡瀬夏彦 (2014年10月17日). “歓喜の歌をコロシアムで聴いた―「沖縄の宝」琉球ゴールデンキングスは、いかにして「日本一のチーム」になったのか (2) 「山城吉超引退・上」”. 沖縄タイムス. 2019年3月9日閲覧。
- ^ “Bリーグ第2シーズン開幕まで待てない!キングスOBが語る前シーズン、そして新生キングスの今後は…?合い言葉はやっぱり“GO!KINGS!””. 沖縄ファミリーマート (2017年8月8日). 2019年3月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 『キングス・マガジン』vol.1 沖縄バスケットボール株式会社
- 木村達郎『琉球ゴールデンキングスの奇跡』学研パブリッシング、2009年。ISBN 9784054043312。
外部リンク
[編集]- Yoshiki Yamashiro (yoshiki.yamashiro.3) - Facebook