岡島俊樹
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名前 | ||||||
カタカナ | オカジマ トシキ | |||||
ラテン文字 | OKAJIMA Toshiki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1955年3月18日(69歳) | |||||
出身地 | 富山県 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
岡島 俊樹(おかじま としき、1955年3月18日 - )は、富山県出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
経歴
[編集]富山工業高校卒業後、当時日本サッカーリーグ(JSL)2部の読売クラブに入団し、与那城ジョージ、小見幸隆、松木安太郎らと共にプレー。背番号「11」を付け、1975年から3年連続でJSL2部の得点王に輝いた。当時はオランダ人監督フランツ・ファン・バルコムの勧めで、また教員になるため東海大学体育学部へ入学し、選手生活と大学生活を両立していた。
1978年にチームが1部昇格後も、1978年・1979年と得点ランク3位に入るなど読売のエースとして活躍。また、1978年には日本代表にも選出され、国際Cマッチに1試合出場した(1978年3月26日、朝日国際サッカー大会、日本代表対アムール・ブラゴベシェンスク(ソ連)戦[1])。
引退後は地元・富山で教員となり[2]、富山市立寒江小学校・富山市立呉羽小学校などの校長を経て、富山市教育センター所長を務めた。2015年春、富山市立池多小学校校長を最後に教員を退職。
2010年10月に富山県で開催された第23回全国スポーツ・レクリエーション祭(スポレクとやま2010)では開会式で選手宣誓を行い、「壮年男子サッカー」に出場した。
2006年、三男が富山第一高校のFWとして高橋駿太らと共に第85回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した(1回戦で永井謙佑を擁する九州国際大付に敗退)。
個人成績
[編集]日本サッカーリーグ成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1973 | 読売 | 24 | JSL2部 | 7 | 2 | - | - | 7 | 2 | ||
1974 | 11 | 17 | 9 | - | |||||||
1975 | 18 | 21 | - | - | 18 | 21 | |||||
1976 | 18 | 15 | 4 | 2 | 2 | 2 | 24 | 19 | |||
1977 | 17 | 11 | 4 | 1 | 1 | 0 | 22 | 12 | |||
1978 | JSL1部 | 18 | 13 | 6 | 4 | 2 | 0 | 26 | 17 | ||
1979 | 17 | 8 | 4 | 2 | 2 | 0 | 23 | 10 | |||
1980 | 18 | 5 | 2 | 1 | 3 | 1 | 23 | 7 | |||
通算 | 日本 | JSL1部 | 53 | 26 | 12 | 7 | 7 | 1 | 72 | 34 | |
日本 | JSL2部 | 77 | 58 | 8 | 3 | ||||||
総通算 | 130 | 84 | 20 | 10 |
・JSL東西対抗戦 1回出場(1979年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 日本サッカー協会
- ^ 現役時代にインタビューで将来の夢を聞かれた際、「できれば教員になって高校生あたりを教えたい」と答えていた。