岩崎孝子

岩崎 孝子(いわさき たかこ、1888年明治21年)7月11日[1] - 1975年昭和50年)9月10日)は、日本の華族岩崎小弥太男爵夫人。島津珍彦男爵令嬢。母は島津斉彬の四女・典子[2]虎屋が販売するゴルフボールを模した最中ホールインワン」を考案した人物として知られる。

来歴

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1888年(明治21年)生まれ。華族女学校に学び、1907年(明治40年)、岩崎小弥太と結婚した[3]。夫の小弥太は来客の多い人物であったが、そうした来客の接待は妻の役割であった[4]。大正末期、孝子は夫がゴルフ大会の後に催したパーティーに手土産としてゴルフボールを模した菓子を出すことを思いついた。これは当時はまだ高価だったゴルフボールがもらえると喜んだ来客がよく見ると、実際には菓子である、という趣向であった。当時岩崎家に出入りのあった虎屋に作らせた菓子は好評で、後に虎屋が「ゴルフ最中」の名称で(1934年に「ホールインワン」に改称)販売するようになった[5][6]

敗戦直後の1945年12月に夫の小弥太が没した。その後進められた財閥解体に伴う措置により、岩崎孝子は他の一族10人とともに財閥家族に指定され、財産を持株会社整理委員会に管理される身となった[7][8]。戦後は旧財閥の一族が上位から減少する中でも長者番付に名を連ねたが[9][10][11]、滅多に上京することもなく[12]熱海で過ごした[13]。87歳で脳出血により熱海市林ヶ丘の自宅で死去[2]、残されていた美術品は義理の息子にあたる岩崎忠雄により、大部分が静嘉堂文庫に寄贈された[14]

脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.218
  2. ^ a b 『日本女性人名辞典(普及版)』日本図書センター、1998年、133頁。ISBN 4-8205-7881-2 
  3. ^ 『岩崎小弥太傳』73ページ。
  4. ^ 『岩崎小弥太傳』105-106ページ。
  5. ^ 初見健一「1926年 ドッキリ企画から生まれたハイカラ和菓子 ホールインワン 虎屋」『今でも買える昭和のロングセラー図鑑 まだある。大百科 〜お菓子編〜』大空出版、2008年、39-43頁。ISBN 978-4-903175-19-5 
  6. ^ 歴史上の人物と和菓子 -岩崎小弥太とゴルフ最中-
  7. ^ 持株整理委員會調査部第二課『日本財閥とその解體』持株會社整理委員會、1951年、298-299頁。 
  8. ^ 梅津和郎『財閥解体』教育社〈教育社歴史新書〈日本史〉 122〉、1978年、108-110頁。 
  9. ^ 崎谷哲夫『日本経済「したたかさ」の構造』ダイヤモンド社、1981年、82-83頁。 
  10. ^ 「億万長者16人 番付まとまる」『読売新聞』昭和26年(1951年)4月3日付朝刊。
  11. ^ 「億万長者 三井11位、岩崎は14位 筆頭石炭の古谷、二位は住友」『読売新聞』昭和27年(1952年)5月2日付朝刊。
  12. ^ 東京PR通信社 編『松平恒雄追想録』故松平恒雄氏追憶会、602頁。 
  13. ^ 『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』270-271ページ。
  14. ^ 『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』271ページ。

参考文献

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  • 岩崎家傳記刊行会 編『岩崎小弥太傳 岩崎家傳記 六』(復刻版)東京大学出版会、1979年。 
  • 宮川隆泰『岩崎小彌太 三菱を育てた経営理念』中央公論社〈中公新書 1317〉、1996年。ISBN 4-12-101317-4