岩崎総十郎
岩崎 総十郎(いわさき そうじゅうろう、安政7年2月5日[1](1860年2月26日) - 大正9年(1920年)5月2日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]仙台市出身。岡鹿門が開いた私塾「麟経堂」で学んだ後、専修学校(現在の専修大学)で法学・経済学を学んだ。1881年(明治14年)に専修学校を卒業すると、明治法律学校(現在の明治大学)に進み、翌年に卒業した。その後判事補に任ぜられ、大阪地方裁判所に勤務したが、やがて官を辞し、弁護士を開業した[1]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第13回衆議院議員総選挙でも再選された。
その他に塩水港精糖拓殖株式会社、七十七銀行、仙台瓦斯株式会社、大崎水電株式会社の監査役を務めた[3]。
岳父に金須松三郎。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『大正十年 国民年鑑』国民新聞社、1921年。