川田瑞穂
川田 瑞穂(かわだ みずほ、明治12年(1879年)5月24日 - 昭和26年(1951年)1月27日)は、高知県出身の漢学者である。字は子果。号は雪山。
漢学研究所(奥繁三郎経営)理事、大東文化学院(大東文化大学)助教授、早稲田大学高等師範部教授、同教育学部教授、無窮會会長事務代行・理事、東洋文化學會評議員・幹事、東洋文化研究所學監・所長代理。
内閣嘱託として、敗戦後初の第88回帝国議会(1945年(昭和20年)9月4日開会)で昭和天皇が述べた開院式勅語の起草に関わった[1]。
経歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]- ^ 豊秀一 (2017年1月4日). “修正重ね「平和国家」盛る 敗戦翌月の天皇勅語”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社) 2017年1月4日閲覧。