川辺為三

川辺 為三(かわべ ためぞう、1928年11月29日 - 1999年4月16日)は、日本の教育者・小説家。樺太生まれ。作品集『岬から翔べ』で第18回北海道新聞文学賞受賞。

北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。札幌市とその周辺で高校教員(国語科)として勤務、のちには國學院女子短期大学(國學院短期大学)助教授[1][2][要出典]北海道立文学館を運営する財団法人北海道文学館の評議員[3]も務めた。教職のかたわら、渡辺淳一高橋揆一郎寺久保友哉らを輩出する文芸同人誌くりま』創刊の中心となって小説作品を発表し、後年は札幌の月刊同人誌『北方文芸』の編集者として、またカルチャーセンター講座「創作教室」の講師として多くの作家を育てた。

経歴と人物

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1928年(昭和3年)11月29日、大日本帝国統治期の南樺太豊原市で生まれる[4]。旧制豊原中学校(樺太庁立豊原中学校[5])に通い、第二次世界大戦敗戦後の1947年(昭和22年)3月、函館に引き揚げ(帰国)[4]。北海道学芸大学札幌分校(現・北海道教育大学札幌校)を卒業し[6]、国語科教員として私立札幌大谷高校[注 1]北海道立赤平西高校勤務[注 2]を経て、道立札幌北高校[注 3]で教壇に立つ[4]

1956年(昭和31年)7月、27歳のとき、高校教員を務めるかたわら同志と文芸同人誌『凍檣(とうしょう)』を創刊[注 4]して小説作品を発表[6][16]。同誌は第6号から『くりま』と改題[注 5]、その第18号(1970年6月)に発表した「戦かわぬ戦友」で第4回北海道新聞文学賞候補[35]1972年3月、「白釉無文」で第4回新潮新人賞候補[36]1984年、作品集『岬から翔べ』[注 6]で第18回北海道新聞文学賞受賞[8]

1985年(昭和60年)からは北海道を代表する月刊文芸同人誌『北方文芸[注 7]の編集人を森山軍治郎[注 8]鷲田小彌太[48]とともに引き継ぎ[1]、1997年3月に同誌が通巻350号をもって休刊する直前まで編集を担当した[37][38][42]。また札幌市の道新文化センター[49]で「随筆・創作教室(月曜会)」[50]を開講して実作を教え、1986年から受講者の作品集『河108』をほぼ毎年刊行し[51]、病床に臥すまで講師を続けた[13]

『北方文芸』の編集者として藤堂志津子らを世に出し、また「創作教室」を通じて水木ゆうか、山本由美子、朝倉かすみ[52]まさきとしか[53][54]など多くの北海道の作家を送り出した[13][55]

1992年(平成4年)、単行本『サハリンの声』を書き下ろし長編小説として講談社から刊行した。

1997年(平成9年)春、病を得て創作教室の講師を辞すると、同年10月、創作教室の教え子らによって文学サークル「河の会」[56]が結成された[55][57]。二年後の1999年(平成11年)4月16日、70歳にて死去[注 9]。「河の会」は川辺の没後も活動を続け、2009年6月には札幌地方同人雑誌懇話会の設立にも参加[59]、創作教室時代から続く会誌『河108』[注 10]を発行し続けている[55][要出典]

著名な親族

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第56回北海道新聞文学賞、第56回日本詩人クラブ賞、第13回丸山薫賞を受賞した詩人の山本博道[注 11]は川辺の甥にあたる[63]

著作リスト

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単行本

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  • 『岬から翔べ』[注 6] 構想社、1984年4月。
  • 『サハリンの声』 講談社、1992年6月。

アンソロジー収録(小説)

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  • 北海道新聞社 編『北海道新鋭小説集 1980』北海道新聞社、1980年9月。 (小説「島よ、眠れ」収載)
  • 北海道新聞社 編『北海道新鋭小説集 1981』北海道新聞社、1981年9月。 (小説「朱い糸、朱い裂」収載)
  • 北海道文学全集』 第21巻 : さまざまな座標(二)、立風書房、1981年9月、189-213頁。 (小説「白釉無文」収載)

アンソロジー収録(評論)

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  • 『渡辺淳一の世界』集英社、1998年6月。 (川辺が渡辺淳一作品を論じた評論3編が再録されている[注 12]

脚注

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注釈

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  1. ^ 私立札幌大谷高等学校への勤務は1958年(昭和33年)まで[4]。北海道の作家倉島齊はエッセイ「『くりま』同人 渡辺淳一」の冒頭で、「昭和31年〔1956年〕の春、札幌の大谷高校の国語教師の川辺為三から、『同人誌を作る、参加しないか』と誘いがあった」と記している[7]
  2. ^ 北海道赤平高等学校への勤務は1965年(昭和40年)まで[4]
  3. ^ 北海道札幌北高等学校勤務。1984年、第18回北海道新聞文学賞受賞時の川辺の肩書きは「札幌北高教諭」である[8]。1976年(昭和51年)、札幌北高校教員時代の川辺を講師に招いた札幌の文学サークル「昴の会」の沓沢久里(中村久子、第51回北海道新聞文学賞受賞)は、「スタートは読書。〔札幌〕北校国語教諭で小説家の川辺為三先生を講師にお願いして日本近代文学の名作を猛勉強した。やがて先生のお勧めで創作の手ほどきを受けるまでに発展した。[...] 創作活動が上げ潮に乗った頃、朝日新聞北海道支社が百万円懸賞『朝日 女性の小説』〔※のちの「らいらっく文学賞」〕募集を報じた。『好機到来、全員挑戦せよ』と先生の大号令が発せられた。皆が必死に書いた。」「『活字にならなければ書いたことにならない』という川辺先生の持論が身に沁みた。」と当時を回想している[9][10][11][12]。川辺の督促で第21回北海道新聞文学賞受賞作、第99回直木賞候補作となる「マドンナのごとく」を同人雑誌『北方文芸』に発表した藤堂志津子(1949年生まれ)はその執筆経緯について、「川辺〔為三〕氏は私の札幌北高の恩師でもあり、書かなくては先生にご迷惑をおかけする。正月休み返上で書いた。」(エッセイ「さようなら、パブリックセンター」)と回想しているという[13]。また、漫画家の山本夜羽音(1966年生まれ)は札幌北高時代の恩師として川辺の名を挙げている[14][15]
  4. ^ 同人誌『凍檣』について『新札幌市史』は、「昭和31年7月創刊の『凍檣』は朝倉賢川辺為三が中心になり、倉島齊、渡辺淳一も加わって道内創作界をリードする役割を果たした」と評している[16]。同誌の創刊同人については、翌年の第2号から作品を掲載する渡辺淳一の年譜に「昭和32年(1957年)/24歳/2月、川辺為三、椎野哲、山田順三らが始めた同人雑誌《凍檣》(昭和31年7月創刊)に参加。」[17]とあり、当時のことを1997年に回想した倉島齊の「『くりま』同人 渡辺淳一」には、「昭和31年〔1956年〕の春、札幌の大谷高校の国語教師の川辺為三から、『同人誌を作る、参加しないか』と誘いがあった。/私は札幌市内の中学校で国語を教えていたが、北海高校の同期生で追分中学〔旧北海道勇払郡追分町(現安平町)〕の教師をしていた朝倉賢を誘って、それに加わった。/その顔合わせが〔札幌の〕狸小路の裏通りの旅館で開かれた。大広間に集まった同人は、主宰者のMをはじめ20名ほど、いずれも二十代半ばだった。/誌名は『凍檣』ときまり、打ち合わせが終わって雑談になった。」とある[7](なお、同誌への参加時期の記述に疑問があるが同じく倉島斉(倉島齊)への取材記事には「北海道学芸大札幌分校に進んだ朝倉〔賢〕とともに同人誌『凍檣』に参加した」[18]とある)。また、WEBサイト「直木賞のすべて 余聞と余分」には「〔『凍檣』〕創刊時の同人は、「水木泰」というペンネームだった川辺〔為三〕さんのほかに、守矢昭、萩野治、西塔譲、針生人見(山田順三)を含めた5人だったそうで」[13]とあり、これが同誌創刊号の寄稿者だった可能性がある。なお、川辺のペンネームが「水木泰」だったとすれば[13]、『凍檣』創刊の四年前の1952年(昭和27年)1月、23歳で山田順三と詩誌『樵人』を創刊していることになる[19]
  5. ^ 1956年(昭和31年)7月に創刊された同人誌『凍檣』は第6号(1959年8月1日発行)より『くりま』とタイトルを改めるが、巻号は『凍檣』を引き継いでいる[20](そのため『くりま』第1号から第5号は存在しない[21])。改題の理由について倉島齊は、「『凍檣』5号を出した後、主宰のMが文学以外の目的のために『凍檣』を創刊したことが判明して、私たちはMと袂を分かった。/折からソ連でジューコフ元帥が失脚したことから、私たちはこれを『ジューコフ追放』と称した。/そして、誌名を『くりま』と改め、号数はそのまま引き継ぐことになった。」と記している[7]。誌名の「くりま」はドイツ語に由来し、B5判の表紙にはタイトルの「くりま」の他に「Das Klima」と印字されている[22]。倉島は「クリマとはドイツ語で『風土』の意味だ。これは、その頃の作品の相互批評で、『この作品にクリマがあるか』ということがしきりに問われ、それに因んで、新しい誌名を平仮名で『くりま』にしようという彼〔渡辺淳一〕の提案が、同人全員に支持されたのだった。」と記している[7]。渡辺淳一は「〔『くりま』は〕同人の原稿は無条件で載せるかわりに、生原稿の時点で徹底的に叩くという方針で、ずいぶん勝手気儘なことをいい合った。あまりいじめられて、泣き出しそうになり、途中で帰る者もいた。/それでも仲間がみな同じ世代で、創作力も同じ程度だと思いこんでいたので、とくに喧嘩になるようなこともなかった。合評会では、互いにサディストになったり、マゾヒストになったりして、それはそれで楽しんでいた。」と回想しており[23]、当時の様子が窺える。同人には、朝倉賢(第36回札幌芸術賞[24])、倉島齊(倉島斉、第2回新潮新人賞[25][26]、山田順三、古屋統[17]渡辺淳一(1957年参加[27]、第63回直木賞[28]寺久保友哉(第8回北海道新聞文学賞)、伊藤桂子(1971年参加[29][30]高橋揆一郎(1976年参加[31]、第79回芥川賞)等々の北海道文学、また日本文学に足跡を残す名前が並び[32]、1986年(昭和61年)1月発行の第24号まで続刊した[33][34]
  6. ^ a b 単行本『岬から翔べ(みさきからとべ)』は川辺の小説「鳥よ、眠れ」「閉じられた島」「空の銃架」「岬から翔べ」「白釉無文」、および小笠原克による解説を収録。第18回北海道新聞文学賞受賞作。
  7. ^ 北方文芸』(ほっぽうぶんげい)は1968年(昭和43年)1月の創刊から1997年(平成9年)3月の終刊まで約30年間、通巻350号に達した北海道札幌の月刊文芸同人誌。創刊時の同人小笠原克澤田誠一和田謹吾山田昭夫木原直彦原田康子木野工、小松宋輔らで、初期の財政基盤は「なにわ書房」(札幌市)の店主・浪花剛が発行人として担った[1]。編集長は第143号(1979年12月号)まで小笠原克が務め、小笠原が退いた後は澤田誠一が編集発行人となったが、1985年に澤田が病を得て発行人に退くと、川辺、森山軍治郎鷲田小彌太ら3名による編集体制が続いた[37][38][1](森山のresearchmapの「Works(作品等)」欄に「月刊誌『北方文芸』の編集人 1985年 - 1996年」とあり[39]、鷲田は「わた〔し〕は、実質200〜300号まで、編集にかかわった」[40]「『北方文芸』の編集委員を8年間もやった」[41]と回想している)。終刊号(1997年3月号)の編集人は工藤正廣が務めたという[42]
  8. ^ 森山軍治郎(もりやま ぐんじろう、1941年 - 2016年)は、日本の歴史学者。専門は近代日本民衆史、フランス革命史[39][43]。北海道大学文学部史学科卒、北海道大学大学院文学研究科西洋史学専攻修了(文学修士)[39]専修大学北海道短期大学教授。遅塚忠躬井上幸治らに師事し、困民党研究会結成に参加[44]。著書に『民衆精神史の群像 : 北の底辺から』(大学出版部協会、1974年)、『民衆蜂起と祭り : 秩父事件と伝統文化』(筑摩書房、1981年)、『銅版画フランス革命史』(読売新聞社、1989年)、『ヴァンデ戦争 : フランス革命を問い直す』(筑摩書房、1996年)ほか。泊原発北海道電力)の反対運動にも深く関わり[45]、泊原発運転差し止め訴訟の原告として法廷で意見陳述もおこなっている[46][47]
  9. ^ 川辺が没した平成11年(1999年)は北海道や札幌を代表する文学者が数多く物故した年で、『新札幌市史』第5巻は、「平成11年は北海道文学全体が大きな喪失を抱えた年であった。『氷点』『塩狩峠』など多数の著書を残した三浦綾子(旭川・10月12日没)、映画化された『恋人たちの時刻』の著者・寺久保友哉(1月22日)、『岬から翔べ』等の川辺為三4月16日)、『冬の燕』等スケート三部作を書いた八重樫実(11月29日)、そして詩人の和田徹三(6月28日)、歌人・中山周三(9月22日)がこの年に死去したのだった。いずれも後続世代を育て、支援してきた大家たちであった。さらに年末の12月9日、北海道の文学活動の支柱であった小笠原克が死去した。『〈日本〉へ架ける橋』『小林多喜二とその周圏』等の著作をはじめ、勤労者文学運動も推し進めた、68年の生涯であった。さまざまな雑誌で追悼特集が編まれる中、翌〔平成〕12年にも『札幌文学』の鎌田純一(10月4日没)、西村信(11月3日)の訃報があり、文学の世紀の終わりを告げるかたちとなった。」と記す[58]
  10. ^ 『河108』各号の掲載作品目録が河の会ホームページで提供されている[60]。1986年2月発行の第1号[50]から1997年3月発行の第11号[57]までは川辺の文章が毎号巻頭に配されており、川辺の死の二週間後に発行された第13号(1999年4月)には川辺の遺稿「来訪者」を載せる[61]
  11. ^ 山本博道(やまもと ひろみち[62]1949年1月2日 - )は、日本の詩人。北海道美唄市生まれ、東京都在住[62][63]北海道稚内高等学校を経て二松學舍大学[64]。大学卒業後は東京の出版社に勤務[63]。2006年、『パゴダツリーに降る雨』(書肆山田、2006年)で第13回丸山薫賞受賞[62]、第24回現代詩人賞候補[65]。2008年に『ダチュラの花咲く頃』(書肆山田、2007年)で第3回三好達治賞候補[65]。2022年、『夜のバザール』(思潮社、2022年)で第56回北海道新聞文学賞[64]、第56回日本詩人クラブ賞[66][67]を受賞。
  12. ^ 『渡辺淳一の世界』(集英社、1998年)はA4判、編集は小山田恭子(集英社第十編集部)。「渡辺淳一論」セクションに川辺が渡辺淳一作品の解説として寄せた「異邦人の眼──『氷紋』」(講談社文庫、1978年4月)、「肉体、この不思議なるもの──『くれなゐ』」(集英社文庫、1992年11月)、「野口英世・生き急いだ〈二十四時間人間〉──『遠き落日』」(『渡辺淳一作品集』第18巻、1981年10月)の3編を採録している。巻末「執筆者一覧」での川辺の肩書きは、「作家、國學院短期大学助教授。'28年、旧樺太生まれ。同人雑誌『凍檣』(後の『くりま』)を創刊。」となっている。また「交友録」セクションに、同人誌『凍檣』『くりま』の頃を活写する倉島齊の佳編「『くりま』同人 渡辺淳一」も再録されている。

出典

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参考文献

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  • 北海道文学館 編『北海道文学大事典北海道新聞社、1985年10月。  ※項目「川辺為三」は朝倉賢の担当執筆。
  • 『北海道文学全集』 第21巻 さまざまな座標(二)、立風書房、1981年9月、190頁。  ※川辺の小説「白釉無紋」を収録。p. 190にプロフィールを掲載。

関連項目

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外部リンク

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