工藤十三雄
工藤 十三雄(くどう とさお、1880年(明治13年)5月16日[1] – 1950年(昭和25年)12月17日[2])は、衆議院議員(政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]弘前市出身。東京帝国大学法科大学独法科を中退後、時事新報の記者となった[3]。東洋拓殖株式会社嘱託を経て、郷里で陸奥日報社や弘前新聞社の経営にあたった。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。6期連続当選を果たした。その間、平沼内閣で鉄道政務次官を務めた。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。戦後、公職追放となる[4]。1951年(昭和26年)追放解除[5]。
その他、石川島飛行機製作所顧問を務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧(乙)昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。
- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。