常胤法親王
常胤法親王(じょういんほっしんのう、天文17年3月9日(1548年4月17日) - 元和7年6月11日(1621年7月29日))は、安土桃山時代後期から江戸時代前期の法親王。伏見宮邦輔親王の第4王子。正親町天皇の猶子。母は万里小路惟房の娘。妙法院門跡。天台座主。方広寺(京の大仏)別当。妙法院宮。雲龍院宮。
生涯
[編集]永禄7年(1564年)、京都妙法院で出家。門跡となり妙法院宮といわれる。正親町天皇の猶子となり、天正3年(1575年)に親王宣下を受ける。慶長2年(1597年)、第168代天台座主となる。雲龍院門主にもなる。慶長19年(1614年)には、京都方広寺大仏鐘名事件により、方広寺別当の照高院興意法親王の後をうけ、大仏を兼管し別当職についた。豊臣家滅亡後の元和2年(1616年)、妙法院門主であった常胤は豊国社より豊臣秀吉の遺品等を押領(「豊公遺宝図略」)。そのまま、、徳川家康より豊国社や神宮寺(豊国社別当神龍院梵舜の役宅)は妙法院に引き渡された。
元和7年(1621年)6月11日薨去、74歳。墓所は妙法院宮墓地。
人物
[編集]参考文献
[編集]- 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年